名古屋市役所ヨット部OB七名が共同所有するクルーザー"美州"の進水式は,数日前までの寒さが信じられないほどポッカポカ天気に恵まれた昭和62年2月11日のことでした.
入水ではありません.進水です. 
 NISSAN30(日産自動車製*
 艇長   30フィート(9m)
 最大幅   3.1m
 排水量   3.2トン**
 定員   12名(宿泊:6名分)
* 技術の日産にはマリーン事業部もあって、車だけでなくモーターボートやヨットも造っています.かくいう自分もこの頃まで知らなかったナ〜
** 艇の総重量です.その後,種々雑多な家財道具が持ち込まれたり製作されたので,今では4トン近いかも.

 当日,西浦の"日産マリーナ東海"で進水式後,ファミリー+招待客の大人〜乳幼児まで約50名の出席で盛大な進水パーティをやって,国際信号旗を全部張り巡らせたまま,大人子供合わせて30名近く乗ってハーバー周辺をふらつきました.
 もちろん,機走で.帆走しようにも人間鈴なりでセール操作のスペースなどあるわけありません.法定定員オーバーどころか完全無視,そのうえ全員飲酒の運行という無法ぶりでありますが,"美州"にとっては一生一度の進水式でありますので,マァ,お目こぼしのほどを・・・
 なお,招待客の皆様は薄給の身(アッ,失礼けど事実)にもかかわらず,かなり無理してご祝儀をはずんでくれました.備品等の祝いの品も数々.

まだまだ乗れる,乗れるだけ乗ってみよぅ 

 "美州"の船体購入価格は約800万円で,遊びには金も時間も余裕が必要という考えから,諸雑費や予備費としてのストックも含めて一人当たり150万円の出資としました.
 時間的余裕に関しては全員問題ありません.と,いうより遊びとなれば根性でなんとかひねくり出す

 「ヨット部OBでクルーザーを」という話が具体化した当初,メンバーは10名でした.が,諸々の事情で手を降ろした者があって七名となったわけですが,皆稼ぎは似たりよったり低水準の市役所職員でありますし,家族全員にとって実用性の高い車のような半必需品とは明らかに異なる全くの遊び舟ですから,その資金調達には大蔵大臣*の説得それぞれ苦労はあったようです.

* 家計を預かる大蔵大臣にとどまらず,家事全般及びもめ事調停に至るまで全権を握る総理大臣兼最高裁長官かもしれない奥様方の反応は,
等々,概してあまり芳しくなかったそうな・・・   
 現実の生活に追われる女どもにしてみれば当然かもしれませんけどネ


 の艇名は,尾張名古屋の旧称:尾州に由来し,美酒にひっかけたものです.小島氏の提案を森氏が強烈に支持して,すんなり決まりました.
 この艇名を決める全員集合の話し合いでは,他にも"名鯱","酔人","舞"とか,カッコ良すぎる横文字のいろいろな名前も出ましたが,小生は名古屋市章の丸八マークから"丸八丸"を提案しました.
 しかし,「なんか,冗談っぽいナ〜」,「役所の所有艇みたいジャン」とえろぅ不評で,全く相手にしてもらえませんでした.---前向きどころか検討のケの字もないあいそなし.一人くらい考えるふりしてくれたって良さそうなものですが.
だけど,公用車はどこにでもあるけど,公用ヨットを持ってる役所なんてあるんかいナ,この日本に・・・ マァ沖縄の離島くらいなら村長や助役の送り迎えにのんびりヨットを使ってというのもいいかもネ.

 艇の選択についても,レース志向タイプorクルージングタイプという迷いがありましたが,これはクルージングタイプでいこうという意見が多数を占めました.宴会舟と化している現在から考えると,この選択は正解でした.


 自動車所有に駐車場が必要と同様,クルーザーの所有にも泊地(バース)が必要となります.
 ヨットハーバーがありふれた風景の欧米と違って,我が国では最近プレジャボート(遊び舟)の泊地不足と不法係留が各地で問題となっており,場合によってはこの泊地探しが艇購入以上の大きな課題となることもあります.
 すなわち,サービスや設備の整った民間のマリーナであれば艇置料が年間100万円程度かかるという金銭的問題も大きいのですが,それはさておき,近辺で交通の便の良い所となるとまず空きがなく艇置場を探すのにかなりの困難を伴うということです.
 "美州"は幸いにも人的コネとタイミングで現在の鬼崎港に住処を得ましたが,これもすんなりいったわけではありません.

 一時期「泊地を得るためにヨット部部外者も加えてオーナーグループを組む」という方向に話に進みかけたことがあり,この時に小生は「"市役所ヨット部OBで"というのは最初からの基本的構想であって,譲れない条件」であることを言い張ってグループをしばらく抜けていました.そんなこともあって,泊地決定までの紆余曲折についての詳しいいきさつは知りません.
結局はヨット部OBだけでまとまり,がんこKENチャンをちっとばかし評価してくれた仲間もいましたが,その間泊地確保に走り回っていた仲間には申し訳ない気持ちが残っています.


 記:Jan.-1989