個人で持つには購入だけでなく,その維持の面でも"対岸の高嶺の花"クルーザーを「市役所ヨット部OBで資金と労力持ち寄って」の密談が進行し,仲間がそれぞれ大蔵大臣抱き込み作戦を練っていた頃,我が家ではまだ絶対君主制でした.

 で,愚妻の意見など聞く必要もなく,「今度ヨゥ,部の仲間と新しいヨット買うんゃ」の一方的通知のみ.そして「陸はどこも混んでるし車も飽きてきたしナァ.これからは海上ドライブょ」.
 愚妻はマンション購入間もないウチの家計を考えるとその資金調達に疑問,不安を感じたことは確かでしょうが,自らの口出しはもちろん双方の親に訴えても無駄なことはわかっているので,資金についてその金額も出所も一切触れず,「大きいヨットなら私も乗れる?」,「ぅん,えぇヨ」.(それまでは独身時代にディンギーに乗せたことが二度あるだけ)
資金調達については・・・
 "いくつになっても親は親"---で,マンション購入を口実にちょっとまとまった額のぉこずかいをせしめていました.---「たった一人のぉふくろサンに"カネ貸してちょぅ"なんて水くさいこと言わん.マンションなんてそぅめったに買えるもんやないから祝儀はずんでくれ,土下座〜 m(_ _)m」.その祝儀がそっくり美州資金へ.

この時はすんなり妥結しました.が,そぅそぅスムーズにいかないことも・・・
 「車,替えたいんだけど,ちょっと貸してもらえんかなぁ」に対し,「いくら?」と厳しい調子.
 三本指を突き立てるとテキは急に怒りだして,「年金暮らしの年寄りにそんな大金を・・・」
 "なんかおかしいなぁ"・・・ で,「いくら思っとる?」,「ン?300万?」.
(全額なんて−いくら極道息子でもそこまでは・・・
 この時は「30万やけど,じゃ50万」と要求をつり上げて,結局40万円−ボーナス4回分割返済で話がまとまりました)

 自他共に認めるドラ息子でありますが,いずれまとめて親孝行しようと思っております.
 まぁ,苦労や心配かけてたほうが"安心してあの世行けない"って長生きするだろうし・・・

 しかし,今から思い返すと我が家の絶対君主制もあの頃すでに末期でした.
 結婚以来,"夫婦間に相談や交渉など不要,ただ亭主からの通告,宣言あるのみ"だったのが,2本目のカスガイを打ち込んでからは愚妻の態度に変化が現れはじめ,小生にとっては遊興費取り分のみならず行動の自由度にもかげりが・・・
 二人の息子を生み育てて正妻の座を不動のものとし,家中での権限も強化している現在であればこれほどすんなりいくことは考えられず,我が家でもひともんちゃくあったかもしれません.

 美州仲間の内に結婚間近の独身男が一人いました.
 彼は大蔵大臣予定者をつんぼさじきに置く---つまり,婚約者にクルーザー購入のことは一切話さず,ヨット部関係の話題も極力避けるという作戦をとりました.
 銀行勤めの彼女からすると"何人かつるんでとはいえ稼ぎのしれた公務員がクルーザーなんて分不相応な==>堅実性に欠ける軽薄男?考え直したほうがいいかな?"となって,やっとここまでこぎつけたのに最悪の場合は・・・を,おそれたからです.
 この作戦は一応成功だったようです.が,二人の子持ちとなった現在,彼は出て来ないのか来れないのか,たまに子連れで顔を出しても"オ〜珍しいナ〜"と一斉に声がかかるような影の薄い存在となっています.
 
*** 通勤地獄 無縁の世界デ〜ス ***


 家中での権限を確固のものとした愚妻に車まで取り上げられて,ママチャリ通勤*となって5年近くになりますが,小生の住まいから勤め先の大学まで4キロちょっとで,自転車で手頃な距離です.
 最初の1年は真夏の暑さ,真冬の寒さがたまりませんでしたが,これを乗り越えると寒暖だけでなくメインストリートの排気ガスや騒音にも慣れてしまって,自然の移り変わりを肌で感じての通勤は快適なモノとなりました.車,取り上げられた負け惜しみだけではありまへん
 その後地下鉄が開通して,「いってきまぁす」とウチを出てから職場で「ぉっはょ〜」まで所要時間20分と便利になりました.が,今も雨の日以外は自転車通勤を続けているし,かなりの距離でも自転車利用です.
 盗難に遭うことも二度,うち一度は戻ってきました.頭にきて盗み返したこと?---イェ,まだありまへん.
* チャリンコ=自転車.ゆえに,ママチャリ=婦人用自転車
 チャリンコはカネ食い虫の四輪車と違って”排ガス出さず,場所とらず,税金取られず,手間いらず.さらに,丈夫で長持ち安上がり=手入れは簡単,たいていの修理も自力でOK”と,言うことなしの愛車です.
記:Dec.-1996   

 二輪の愛車 
 1999年3月ヨット部総会からの帰りのこと,かなり酔っていました。
 東西百m道路の若宮大通り矢場ブリッジ東の名古屋高速高架下(ホームレス対策で街灯が全部消えて真っ暗)を突っ切った時不意に道がふっと消え,空中でチャリンコをこいだ(ETみたい?)次の瞬間ドーンと道路にたたきつけられ,気を失ってしまいました。
 しばらくして気がついたのですが,落ちたところは水を抜いた噴水池の真ん中でした。(よかったナ〜水があったら水死か凍死だったかもしれん)
 顔面や手足にかなりケガしていましたがアルコールの効果かそれほど痛みも感じず,"なんのこれしき"で自転車に乗りなおしたのですが,なぜか左へ左へ回って・・・なんで???  これはハンドルが大きく曲がっていたためで,直してまた走り出したのですが,今度はすれ違う人が皆大きくよけたり急に立ち止まって驚きの表情。(顔の右半面と白いセーター&ジャンパーも血だらけだから"ギョッ! "となるのもしょうがないか・・・)
 ようやく我が家にたどり着いて一安心,カミさんと愚息からアホ,バカと罵られながら応急処置の間にも痛みより眠気が・・・zzz・・・
 翌朝,目が覚めて起きようとして「ィテテッ! なんであちこち痛いんやろ,アッ! そぅか〜」。
 顔に大きな絆創膏のままぉ仕事へ。「奥さんにひっかかれたんか」,「喧嘩でもしたノ?」。
 弁当仲間にことの顛末を話すと「けど,良かったよな〜」。「ン,なんで? 」。「顔に当たった棒がもう少しずれてたら目がつぶれてるし,先がとがったモノだったら命取りやんか」,「そぅ言われりゃそぅやネ〜まだ悪運は尽きてないってことかぁ」。
 顔面のキズ跡は,テニス仲間の外科医の言うには「形成外科で目立たないように修復できる」とのこと。ところが,たった一人のオフクロさんが「時々鏡で見て反省材料にしなさい」。で,そのまま残しています。
 この件以来,二輪でも飲酒運転には少しばかり慎重になりました。



 2000年初夏,転居で通勤距離が2キロ少々となってますます二輪の愛車が手離せなくなりました。
 そして,愚息二人もチャリンコ通学−15分となったのですが・・・
 12月初め,中3の愚息2号が学友と二人乗りを先生に見つかって,愛車を没収されてしまいました。
 いつ返されるかは"生活指導の先公の気分次第"とかで,長いときは1ヶ月位になることもあるそうです。(愚息兄弟ともにちょっと外れてるからこりゃ長くなるなぁ) 地下鉄利用でも3区間30分足らずの通学ですが,毎日往復400円−ぉこずかいからの出費はガキにとって相当痛いようで,兄貴の自転車に二人乗りして行ったり,帰りは歩いて,などとかなり苦労していました。
 そして,「"返してくれ"って頼みにいっても全然聞いてくれん」とボヤいているので・・・
 「頼んでダメなら強行手段や,ポケットとか引き出しに隠せるもんやないやからョ置いてるとこ探してコソっと取り返してこい」。 愚息2:「体育の先生の部屋の前に置いてあるからすぐバレるし,また罪が重くなるヨ」。
 「そこにあるのに手が出せんというのは辛いなぁ。よ〜し,ぉっ父の貸してやる。ぉっ父はその間,車でもジョギングでもえぇからョ」。愚息2:「許可シール貼ってないのに乗ってるの見つかったらそれも取り上げられるしなぁ」。
 「そうかぁ,じゃぁやっぱ,"ご慈悲でごぜぇます"って土下座してぉ情けにすがるしかないナ。ぉっ父も臨時こずかい出すほどの余裕ないからョ」
  ・・・その後,彼の愛車が戻ってきたのは二学期終業式の日でした。



 2001年7月,長年の酷使でガタガタになってしまったママチャリをちょっと奮発してえぇカッコしぃのMTB(マウンテンバイク)に替えました。
 ところが一週間ほど乗ってなじんできた頃、近所の交差点で四ッ輪の車とガツ〜〜ン。自分は反射的に飛び降りて接触程度でしたが、愛車のほうは至近距離で目撃した女子高生のキャーという派手な悲鳴とともにグシャッ!
 「人間はどこも壊れてへんけどョこの新車どないしてくれんねん! 」・・・
 で,翌日からはちょいとシャレた感じの折りたたみ自転車が次の愛車となりました。
 短いつきあいに終わったMTBでありましたが、高1の愚息2号からは「カッコ良すぎてオヤジに似合わん」と交換を迫られ,愚妻からも「なんかアブナイおじさんみたいネ〜」とあまり評判よろしくなかったのでちょうど良かったのかも・・・・

 ところがこれだけではすまず,その次週にはヨットで浮標との衝突事故という大ドジ〜
 しかし,これも不幸中の幸いで乗員9名誰もケガなく,まぁだまだ悪運は尽きてないようです。
 連続事故の直後,「こりゃ、当たり月かも」と出勤途中の急な思いつきでサマージャンボぉ宝くじを買って,「家のローン,一気にチャラにしたろぅ」。が,こちらはかすりもせず・・・ うまくいかないものであります。




【 大学生活スタートは出足でつまずく冤罪事件 】
 2004年1月,高3の愚息2号が愛車(かなり年期モン)を盗まれました。
 センター試験直前だったので,愚息は「誰かオレの足を引っ張ろぅとしとる」と憤慨していましたが・・・
 入試シーズンも過ぎて4月初め入学式当日の朝8時前,警察から電話がかかってきました。「何事ぞ*,朝メシも終わってへんのに」・・・ 聞くと「自転車の件で」ということなので,愚息をたたき起こして代わったのですが,かなりの長電話・・・
 電話の内容は,「防犯登録から所有者が判ったけど,この自転車が事件に絡んでいるのですぐには返せない」とのこと。「そりゃちょっとヤバいなぁ,事件たってひったくりくらいやろぅけど盗難届け出してないならぉ前もその一味に疑われてるデ」。
* 入試の前期試験が終わったところで緊張の糸がputtun!  「敗者復活戦(後期試験)ってことはないのか?」にも馬耳東風の夜遊びで週に1,2度はウチにも帰らず,「"深夜徘徊で補導"とかで警察からぉ呼び出しないやろぅなぁ」とカミさんと話していた矢先のことなので,"ギョッ!! "

 それから二週間後,「自転車を返しに行くからウチにいてくれ」と警察から電話がありました。
 「ウチまで持ってきてくれるって話なんか聞いたことないなぁ,やっぱり直接話を訊きたいんやろ」。で,サツの事情聴取に向けて直前対策講座=「盗難届は"試験前の詰め込み勉強でヒマがなかったもんで"なんて言うなョ,言い訳に聞こえるから。"学校帰りに春岡交番に三回寄ったけどぉ巡りさんがいつもいてへん"って抗議口調で言うんャ,回数?多めに言っときゃえぇ」。
 その日は小生も半休とって立ち会いました。やはり玄関先で自転車降ろして「ど〜も〜」で済む訳なく,「書類があるし,事情聞きたいから」ということで,しかたなく「ど〜ぞ」。
 平和な家庭のリビングにいかつい顔した制服警官二人なんてあまり似合わんけどなぁ,"拳銃持ち込み禁止! "とも言えんし・・・ ご近所さんはなんて思ったやろぅ−「川浪さんチの茶髪のコ,どこか大学入ったって聞いたけどもぅ警察沙汰?退学やろぅか,停学ですむかな?」・・・ たまりません。

 ポリさん家庭訪問の翌日,愚息は「クラブの飲み会やから今日は帰らんかもしれん」と言って出かけました。3月末日生まれで18才になったばかりバリバリの未成年なので,「死ぬまで飲むなョ」・・・
 翌日,疲れた様子でしたが生きて帰ってきました。しかし,前歯が2本欠けて顔をはらしたひどい状態。「なんじゃ! それは? 先輩のシゴキか」と,思わずバットに手が・・・ 聞くと,酔っ払ってこけて何かにぶつけたという自損事故。しかも,どこでどう転んだかも覚えてないとか。
 ホンマ,愚かの前にチョーがつきそうな・・・ 血は争えんなぁ・・・



 2007年2月4日(日)船舶免許一級昇級試験を受験,8日合格とここまでは調子良かったのですが・・・
 翌9日(金),テニスでずっこけて手だけでは足りず顔面着地,かなりの傷を負いました。顔では隠しようがなくヨット仲間や仕事仲間からも「なんだそれ?何やった?」・・・事務室のぉねえちゃんなんか「痛そ〜」と嬉しそうに言いながら寄ってきてのぞきこむし,8年前と同じ箇所のケガだったのでその時の件を知ってる奴らは「自転車?また酔っぱらい暴走か?」,「違う,今度はぉ昼休みのしらふテニスじゃ」。

 傷が癒えてカサブタもそぅ目立たなくなった次週18日(日),鬼崎ハーバーでもやいロープのチェーン交換作業をやりました。暖冬のせいかフジツボやカキの生育が例年より良くて,作業の合間に大きめのカキを2個食して「ゥ〜ン海のミルクは潮の味,いけるなぁ」・・・
 次の日,真夜中から翌早朝にかけて胃が痛いというか重いというか違和感で目が覚めて熟睡できず,翌朝食欲は全くなし。朝メシ抜きのまま10時かなり過ぎ遅めの出勤,しかし頭は働かず昼近くになってもテニスもやる気せず弁当にもファイトわかず。前週から風邪で胃腸の調子が良くないと言ってたのが周りに二人ほどいたのでそれをもらったと思っていたのですが,悪友が「カキのノロウィルスに決まってる」「ノロならこんなもんじゃないやろ?」「アンタだからその程度ですんでるってことヨ,大体そんなのすぐ食うほうがまともじゃない」。腹も不調なので「後頼む」とウチへ帰って以後昼夜何も食べずひたすら寝ていました。翌朝も食欲なく午前中は自宅休養,ぉ昼にうどんだけ食べてなんとか生き返り,大学へ。
 初めての食あたりは一日半の断食−普段の食い意地が全く失せたかのように食べ物が目の前にあっても手が出ず,ポカリスエットだけで生き延びるという過酷な体験で,テニスも仕事も実質二連休でした。二日とも天気は良かったのでテニス仲間が「よぅ生きてたか」,「ゥン 半分死んでた」。
 「もぅ懲りた,ハーバー産伊勢湾天然生ガキはやめとこぅ」。悪友が「まだ良かったょナ,来週だったら入試とか採点でフラフラでも出てこないかんデ」

 その次週26日(月)入試当日,ウチを出てしばらくして自転車がパンクしました。通常なら時間など気にせずウチへ引き返して修理,出直すのですが,そんな余裕はなくタイヤもチューブもおシャカ覚悟でそのままガッタンガッタン走って行くしかなく・・・「まいったナ〜遅刻が許されん年一回の日になんで・・・なんか呪われとんやろぅか,あの伊勢湾ガキもノロワレウィルスまみれだったのかもしれん」。
 その後クチャクチャのチューブはパンク修理ですみ,タイヤはそれまでにもかなりへたっていたので交換しました−100円ショップで420円也。二輪の愛車は修理簡単安上がり,庶民にとってなくてはならぬ強〜い味方です。