2005年7月,我が部の面々が32th全日本自治体職員ヨット競技大会で横浜・八景島に行ってるちょうどその間,小生は白内障の手術で味気ない入院生活を送っていました。
 白内障はぉメメの経年劣化で,自分の場合かなり早めで悪化も急でしたが,皆様も70,80まで生き延びるぉつもりなら間違いなくいずれ・・・のはずです。
 で,"ぉメメは大事だョ〜"を実感した数ヶ月と,3日間の刑期をつとめ上げてぉメメもハートもクリアになって出所するまでの顛末を体験談として報告させていただきます。

 昨年10月,定期点検の視力検査でメガネかけても左=0.1,右=0.6。(普通免許はなんとかいけるとしても大型免許はかぁ・・・今からダンプの運チャンもないやろぅからまっいぃかな〜)
  しかしその後,今年になってテニスやっててもボールの遠近感がつかめず,「こりゃあかんワ」。
 そこで,メガネ屋に行ったのですが,「メガネでは矯正できません」と言われ,「エッ!? なんで? 」。
 4月,ヨット部きってのぉメメのトラブル識者の西田氏にこの話をすると「白内障かもョ」。「そりゃ年寄りがなるもんやろぅ? 」・・・けど,西田さんの言うことやから・・・で,翌日知り合いの目医者に行きました。
 すると,「かなり進んだ白内障」の宣告。「大型どころか普通免許も危ない」。「ギョッ! 船舶免許の更新もあるのに。このままじゃチャリンコしか乗れんってこと? 」。しかたなく手術ということになりました。

 白内障は眼のレンズの役目をする水晶体が濁るのが原因で,老化現象ですが早い人は40才台から,そして治療法は人工水晶体への交換手術ということです。
 そんなら,ついでに両眼ともやって近視も矯正したろぅと考え,何人かの眼科医に相談したところまだ実用になる右眼の手術に関しては賛否両論あって・・・
 しかし,そぅ迷うこともなく紹介状をもらって日帰り手術もOKの大須・安間眼科へ。
 順番待ちで8月末と言われましたが,「それまでに運転免許の更新があるからなんとか」と院長交渉で7/14,15を提示されました。(エッ! 全国自治体大会とバッティングやないか。まいったな〜9年ぶりの八景島なのにョ〜まぁしかたないか〜)

 名市大病院ならまだ交渉の余地はあったのですが,聞くと日帰り手術はやってなくて両眼では10日〜2週間の入院だって。(マジかョオィ,いくら入院保険金が入るからって10日間もムショ暮らしができるもんか)

 "両眼まとめて1日で片づけることはできないので2日続けて順番に"ということで,最初は「ウチからチャリンコで20分くらいだから2日通う」と言うと,看護婦のおネェちゃんは「自転車?  来る時は良くても帰りは片眼だし2日目なんか無理ョ」とヘラヘラ笑うので,「じゃ地下鉄か〜」。
 通いよりもぉ泊まりを熱心に勧めるおネェちゃんに,「いやじゃ,病院に泊まるなんて」。付き添いも 「いらねぇヨ,そんなもん,半ボケジィじゃあるみゃぁし。この程度のことでカミさんに借り作りたぁない」。
 しかしその後,「両眼の日帰り手術は無理がある」とヨット仲間がうるさく言うので,次の週「すんまへん,1泊2日でお願いします」と電話。そしてまた次々週「何度もすみません,お勧めどおり2泊3日にさせていただきます」と平身低頭で又々電話。(メンドィ客やなぁと思われたかも・・・しかし,結果的にはこの3日間入院への再変更が大正解でした)
 で,初めての入院生活を経験することとなりました。(病院嫌いは親譲りです。齢80間近のぉフクロさんはいまだ入院経験がありません。−ボクは畑の片隅で生まれた?  いぇ自宅で産婆さんがとりあげたそうです。憶えてません
 手術によりピント合わせを近く,中間,遠くと調整でき,普通は中間に合わせるそうですが,自分は「読み書きパソコンなんてもぅどうでもえぇからヨット用の眼に」ということで遠くを希望しました。先生の説明で「ある程度誤差が生じるので遠くに合わせるつもりで誤差が遠くになった場合遠視になる」と何度か念を押されましたが,「いぇそれでも」。「じゃまぁその場合は入れ替えもできるから」・・・(けど,他人のメ玉だからってコロコロ替えられたらかなわんナ〜)

手術を待つ5〜7月のドジ,ミス,アブナー etc."人生いろいろ"
 チャリンコで歩道と車道の段差がわからずガックン−「なんだ!? コレ」。階段では「オットット! 」。ぉエライさんが目の前にいても向こうから声かけられるまで気付かず,「だめだ,こりゃ」。
 暗くなるとなお見にくくなるので門限は日没。仕事途中でも「オッ暗くなってきた,帰ろ帰ろ」,「良家の箱入り息子か? 」
  ヨット乗ってて皆が何か遠くを見て話している時も「なんのこと? 」,双眼鏡で覗いて「アァあれか〜」。で,いつも双眼鏡が手離せず。(山本五十六元帥だって映画や写真でいつも双眼鏡持ってるけど山本さんも白内障? )
 「左眼が悪いのか」と卑怯なテニス相手がバックに球を集めてくるし・・・(でも,これは誤解です。弱いのは正面の球なんョ,遠近感がないから)
 車の運転も極力控えました。パソコン便利屋で岡崎の悪友宅を訪ねた時は「帰りは4時半にはここを出んと。暗ぅなるから」,「トリ目か? ゥンわかった,帰れ帰れ」と言いながらも放してくれず・・・。他に送り迎え付きのパソコン便利屋出張も何件か・・・。
 6月末に常滑の鬼崎ハーバーまで愚息のバイクを借りて走りました。翌日,大学で悪友にこの話をしていると,「オィオィ大丈夫か,視力検査やったる」。すると,左=0.05,右=0.3。「ゲッ! 単純プラスで免許条件の半分?  軽四かゼロ半バイクしか乗れんなぁ」。「そんな計算ないョ。もぅ待ったなしやネ」。
入院前日のぉ昼休みテニス後,ぉベント仲間との会話:
「手術失敗して失明したら今日が最後のテニスになるかもネ」。
「い〜や,そ時は白いラケットに心眼で打つッ,丹下左膳から座頭市になるだけョ」。
入院前夜,悪友夫人と電話で会話:
「明日手術?  がんばって」,「オレが何をどうがんばんねん。がんばれョは医者と看護婦に言ってくれ」,「いゃ,おとなしくしてることをがんばって」。

 入院当日,雑居房で寝床を指定され(独房はぉカネがかかるのでノーサンキュー.孤独はあまり好きくないし),囚人服に着替えるとまつ毛をチョキチョキ切られました(盲腸の手術では大事な縮れっ毛を剃られるっていうけどそれに比べるとちょろい? )。
 その後の早めの昼食はあまりの少なさに「なんだコレ!? オレはぉメメの不自由な方やけど病人ではにゃぁゾ。後で食料調達に抜け出さな」。しかし,これは手術前だったからのようです。(病院によっては手術前は食事抜きのところもあるそうです。たまらんなぁ)
 手術後よく寝た後の夕食はまぁまぁでした。(それでも便秘のOL程度。患者サマのエサ代ケチっちゃいかんョ,楽しみ少ない入院生活なんやから) 他に「百円テレビもないなぁ,大部屋は」とも思ったのですが,これは「目の不自由な方ばかりだから必要ないか」と納得。

 手術時間は30分程度(だそうです。記憶にありません)。
 1日目左眼の手術が無事終わって翌日右眼の手術前,看護婦さんに「手術の後右眼も眼帯されたら何も見えへんけど今日の晩メシは? 」。ぉネェさん付きっきりの「ハイ,アーンして」−期待もあったのですが,「左眼は穴あきの眼帯に代えるから大丈夫ですョ」。

 ところが,夕方この眼帯に代える時,絆創膏をもろにベタッと貼ってくれて「オィオィ」。別の看護婦さんが「チョット それじゃ見えないでしょ,周囲に貼らなくちゃ」。(新米とはいえ患者サマのことちっとは考えろョ,プロ意識が足らんゾ)

 夕食前悪友の一人が陣中見舞いに訪れました。
 ところが知らないおばちゃんが「川浪先生,馬渕先生がお見舞いに見えましたョ」と案内してくるので,「?? ?」。
 「あのおばはん,なんでオレとマブやんのこと知っとんねん? 」。「生協売店のおばちゃんョ,ダンナさんの付き添いだって。部屋の名札見て市大じゃなくてなんでここへ? って思ったけど声聞いてアンタに間違いないってわかったってョ」。じゃさっき看護婦のネェちゃんが「川浪さん動きが大胆ですネ」って笑ってたの聞こえてたかも。(ぃゃ別におしりやおっぱい触ったわけじゃありません)
いやぁ世の中狭いものですネェ。どこで誰に見られているかわかりません。自分は知らなくても相手が知ってることだってあります。悪いことはできません。−刑期3日間のムショ暮らしで得た貴重な教訓でありました。
 マブやんが帰った後は,カミさんとそのぉフクロさんが様子を見に来ました。(一人で瞑想に耽っていたいのにヨ〜入れ替わり立ち替わりじゃましよって・・・)

うるせぇナァ,けど楽しかったぉバァちゃん
 同室に80才くらいのぉジィがいましたが,付き添いの奥さんと思ったのは妹さんでした。
 大きな声のにゃごや弁でよくしゃべり,うるさかったのですが適当な退屈しのぎになりました。ご高齢のうえあのしゃべくりまくりでは長く持つわけないから交代要員に孫娘が来てくれんかの期待は外れ,おとなしめのぉバァちゃんが助っ人に来ただけでした。
しゃべくりまくりぉバァとの会話
「この部屋のクーラーうるさいねぇ」。
 ぉジィが返事をしないので,「ゆんべ良く眠れました? 」と小生に振ってきました。「うん,ぼかぁどこでも寝れるもんで」,「わたしもそうなんだけどネ,ここはいかんワ」,「そりゃまだ修行が足りん」。二人でガッハッハ,ぉジィは聞こえてないようで「 」。
食事の時,「昨日の煮魚,まずかったねぇ」。
 ぉジィの応答はなく,小生に「ネッ,まずかったでしょ」と同意を求めてきました。「いやぁあの量じゃうまいのまずいの言っておれませんョ。汁まで舐めたいくらい」,「アッそうかね」,「ゥンこれじゃ3日が限度です。4日目には脱走です」,ガッハッハ。ぉジィは黙々と食べていました。
 兄貴ぉジィが退院の時,妹ぉバァは「川浪さん,お世話になりましたね。お元気で」と至近距離からバカでかい声で挨拶して出ていきました。(世話なんかなんにもしてへんけど・・・ いつまでも元気で長生きしてナ,しゃべくりぉバァちゃん)

 「出所の時,迎え行ったろか? 」との悪友の申し出を,「い〜ゃ実家はここから地下鉄2駅で駅から歩いて2分のチョー便利なとこやから必要ない」と断ったのですが,階段ではけつまずくし,手すりを持つつもりが空気を握ってるし・・・(こりゃ,2日間日帰り&付き添いなしだったらどうなっていたやら・・・)

 手術後の視力は,0.80.6。誤差が少し近くにきたようでこの程度−目標の裸眼1.0には届かず上マーク@が見えるとこまではいきませんが,日常生活には支障なく運転免許もメガネ条件がなくなりました。
近視が矯正されたうえ医療保険でおつりがくるしダイエットもできて,ということありません。特に近視の方は白内障と言われたらぉ早めの手術をお勧めします。(知田クン,鈴木トシクンみたいにレーシックに大枚40万もかけるより白内障になるのを待ってたほうがえぇデ)
 安間眼科のたくさんいる看護婦さんは皆可愛くて(特に手術前),感じが良く面倒見も申し分ありません。
 運転免許更新の都合を配慮してくださった院長先生にも感謝しております。(全国自治体の日程も考慮してくれたらもっと良かったけど・・・)
 出所直後の3連休は何てできず家の中で見飽きたぉ面のカミさんと二人だけの退屈な三食昼寝付き。
 どうせなら雨降ってくれんかナと願いましたが,外は梅雨明けの好天気でした。
 でも,おとなしくしてれば一週間で日常生活に戻れるということで,ヨットもテニスも日常生活の範囲と解釈すれば・・・(注意文書にゲートボールは2週目からってありました−テニスは?  運転は1週目から−これには船舶の運転もはいる? )
 これで,(1)ぉ昼のぉベント仲間から"隠遁生活のススメ"を説かれることも,(2)「目ぇ見えてないんやない? 針路がちょっと違うョ」とヨット仲間からバカにされることもなくなるし,(3) 近所の享栄高校のぉネェちゃんのパンチラもバッチリ。
 世の中明るくなって,ゼゼコがなくとも楽しい余生が送れそうです。

連休明けの職場復帰を笑顔で迎えてくれた悪友が,「オィ,少しやせたんやない? 」。「がんじゃないデ,入院したのはガン科やけど」。
手術から10日目,ヨットに行くと仲間が声をかけてきました。「ヨゥ我慢できなくなったかぁ」,「ゥン,ムショ暮らし3日に謹慎生活1週間やからねぇ,たまらん」。「ちょっと色白くなったナ」,「インテリ風に見えるデ」,「ゥン,元々賢そうな顔やから」。
 中部新空港="せんとりゃぁ"の全景がクッキリ見え,間近で見るジャンボの離発着はド迫力でした。
 ア〜ぉメメがよく見えるってのはいぃナ〜 
2週間目,蒲郡・ラグーナマリーナと海陽ヨットハーバーで開催されたスナイプ級世界選手権ヨットレースで観覧艇のドライバーにかり出されました。("天下のトヨタ自動車"がパワーボートを何杯でも提供するけど運転手が不足ということで)
 3日間,小生の艇には国内トップクラス選手の親父さんとかご両親,日焼けが恐怖のぉネェさんからガキ連れのお母さまグループ,それに真珠湾とミッドウェー出撃の零戦乗りジッさまもいるジィバァのカメラ仲間までと実に多彩,連日入れ替わりのぉ客さんで大いに盛り上がりました。(零戦生き残りジッさま下船の際は敬礼でぉ見送りいたしました)
 朝6時とか6時半にはぉ迎えバスが宿舎に来て,昼メシは朝メシバイキングの残りを各自確保してボート上で,というハードスケジュールでしたが,波を蹴立てて海上暴走もヨットでは味わえない楽しさでした。
 しかし,宿舎で水中メガネつけて風呂に入ってると回りから不審そぅな視線が・・・「いゃ,半月前にぉメメの手術やったもんで」とあわてて言い訳。
 また,パーティも連チャンとなると・・・毎晩肉をバカスカ喰って大騒ぎする外人選手にはついていけません。ウチへ帰ってソーメンとぉ茶漬け食べて ア〜生き返った〜
3週間目には知多市新舞子沖合いでウィンドサーフィンの全国大会:伊勢湾カップ-2005が開催され,例年のごとく"美州"は本部艇としてチャーターされました。
 ところが,会場に向かう途中エンジントラブル発生。セールを張ったもののほとんど無風状態・・・ いたしかたなく陸上本部に救難要請のSOS−「こちら美州,機関故障のため漂流中」(全国から集まった選手や役員,新聞社の取材ヘリも来るのに"今日はレースやれないょ,ごめん"じゃすまないもんなぁ)。すぐ迎えにきた運営艇に曳航された後,予備部品で応急修理してなんとか復帰しましたが,油臭い狭苦しい所で汗だくになっての原因究明・修理に相棒が「気持ち悪くなってきた」,「オィオィそんなこと言っておれんやろぅ,このままじゃハーバーに帰ることもできんデ」。きつくなった老眼でのエンジン修理作業はかなり辛いものがありました。(ヨットにも老眼鏡がいるなぁ,百均で買ってこ〜)
このところ「メガネは?」とか「コンタクトにかえたか」とよく尋ねられます。「いゃぁ今年の夏ずっと外で遊び呆けてたもんでサ,近眼なんて仕事も勉強もせんかったらひとりで治るョ」と答えていますが,素直に信じておられる方だっているかも・・・

ぉメメの修理1セット ぉ代は締めて10万5千円也
 昨年,悪友宅に(パソコン便利屋で)ご招待された時のこと,
そのウチの飼ぃ犬が,元気がなく目が白くなっているので,「なんや? これ」。
 「白内障でもぅ見えてないんョ。手術すれば治るけど片目50万円やて」。「両目で100万かぁ,そいで? 」,「ちょっとねぇ,医者も"年だからこのまま大事にしてやったら"って言うし・・・」
 その後半年ほどでその老愛犬はお亡くなりになりました。
 昔は人間サマもぉ犬サマも白内障なんかなる前に寿命が尽きていたのかもしれません。
 そう考えると,"人生五十年"というのは適当なとこなのかも・・・
 しかし,今時それじゃ孫の顔どころか子供を大学にやることも・・・
 因みに,人間サマぉメメ手術費用は両方で\104,720でした。
 クリアなぉメメを取り戻すには安いかも。ついでに濁った心もぉ脳もクリアになったような気が・・・