No.26(No.88号) 2008/12/25 (Y.K.)   

《部報は家族の皆さんにも回覧して部活動の理解と協力を》

 世界同時不況で先行きが不透明と言うより真っ暗な状況です。全く未知の暗い海を航海しているようで、不安だらけですが、そんな暗い気分を何とか吹き飛ばせるような部報を皆さんに送れたらと思っています。まず、伊勢湾クルージングレポート、水野部員の艇整備レポートなどのほか、鈴木部員のニューヨーク探訪記第3弾が寄稿されています。編集後記は「花嫁の父」の愚痴です。相変わらず、本文より盛りだくさんです。
 では、まずは活動報告から。

【活動報告(平成20年10月〜12月)】
《ヨット部 10月例会》
開催日時:平成20年10月14日(火) 開催場所:西庁舎12階会議室
   出席者:水野、鈴木、加藤、有馬、知田、佐藤、小島
概要:主な議題は以下のとおり。
@伊勢湾クルージングについて
A日間賀島クルージングについて
Bブームパンチによる事故について

《伊勢湾クルージング》 開催日時:平成20年11月8〜9日 開催場所:
   出席者:水野、川浪、鈴木、松田、知田、小島
概要:前日の準備、出航前の前夜祭などを終え、前夜は早めの就寝。
風はかなりあり、波が大きく桃取水道までは結構きつかった。今回は答志島和具に宿をとった。ヨットを係留できる桟橋があるとかで、民宿程度ではあるが十分である。カキはまだまだとかで残念ながら食べられず。
 鳥羽沖の島で最大の答志島には、九鬼水軍で有名な鳥羽城主九鬼嘉隆が関が原の戦いに敗れ、処刑され、その首塚、胴塚などがある。早速、見学、周遊し、和具から答志へ向かい、カキの佃煮でお気に入りの「浜与」本店に行った。店が開いていなかったので、連絡船乗り場のおばさんに聞いたら、電話番号を教えてくれた。電話したらすぐ開けに来てくれ、カキの佃煮などを買うことができた。
 夜の料理は海鮮で相変わらずだったが、「海香」に比べるとボリュームは少し少な目かもしれないが、十分であった。翌朝、美州の全面改修のため常滑でなく東幡豆の日産マリーナに向かった。北風にまともに向かう常滑と違って、三河湾ではアビームの風になるため、楽な航海となった。昼過ぎには到着し、いつものように大宴会となった。
 次回は是非鳥羽国際ホテルにヨットで横づけし、宿泊したいと思っている。

《ヨット部 11月例会》
開催日時:平成20年11月11日(火) 開催場所:西庁舎12階会議室
   出席者:水野、堀田、松田、有馬、知田、佐藤、川浪、西田、小島
概要:主な議題は以下のとおり。
 @名古屋港部所有艇整備について
   整備内容、日程調整など

《ヨット部12月例会》
  開催日時:平成20年12月9日(火)  開催場所:西庁舎12階会議室
出席者:水野、吉岡、加藤、佐藤、知田
概要:主な議題は以下のとおり。
@艇整備について 12/20
   整備内容 船台整備、マスト置き場、マストロープ交換、木部ニス塗り、船台カバー縛り
 早々に閉会後、忘年会。

《名古屋港部所有艇整備》  レポーター:水野部員
 12月20日(土)は、今期最後のヨット部活動の整備でした。「今年は、ヨット部としての活動は、最初で最後ですか?」という声が聞こえてきそうですね。
 朝、9時に吉岡(いつものエステマ)、佐藤(新車のパジェロ)、堀田(いつもの軽トラ荷台に発電機)、知田(二日酔い徒歩)、鈴木(いつもの何だっけ?フィガロ?)、水野(ただの徒歩)の六人衆が集合し、船台とマスト置場のペイントの整備から始めた。
 整備といえばメインは船台のタイヤ。23471のアルミの新しい船台は、タイヤに空気を入れれば整備完了でしたが、26028の古い船台は、2輪とも使用不可(1輪は、チューブは良かったがタイヤが破れバースト状態でお釈迦、もう1輪はチューブ、タイヤともお釈迦)でした。船台のタイヤは特注で、直ぐに手に入る物ではないので、ホイール径を測って、合うものが無いか、他の用品と一緒に、何でも揃うカインズホームで探すことにした。
 吉岡・水野でカインズホームへ買い出しに行き、他の佐藤・堀田・知田・鈴木で、マスト置場の整備、艇の水洗い清掃整理の整備をした。カインズホームでは、重量物用の車輪を見たが軸径が合わず断念、他のタイヤを探した所、一輪車のタイヤが車軸付き約600円であり、ホイール径がピッタリだったので、とりあえず2輪購入しました。(途中で佐藤君から現場状況の電話)  当初は、車軸を船台に溶接して取り付ける予定でしたが、船台の軸がステンレスのため、堀田さんの軽四に積んである溶接機での溶接も難しく、一輪車の軸を利用するのを諦め、ホイールの径が合っていることから、皆で協議してホイールをばらして、タイヤとチューブを使うことになりました。これがまたぴったりで値段も安く大ヒット、「600円でタイヤが交換できるなら」と以前交換したタイヤのことを思うと「目からうろこ」でした。
 1輪目は、偶然にもトラブルが無く、交換できましたが、何せタイヤ交換の十分な工具もない作業でしたので2輪目は、チューブをいためてしまい使用できず、旧のチューブを使用したがそれもいためてしまい。パンク修理の要領で修理して間に合わせました。(午前中で吉岡さん帰る。)
 昼は、風も無くポカポカ陽気で名古屋港水族館を見ながら昼食タイム。(冬は海水が透き通っていて海底まで見え綺麗ですね〜)午後、松田夫妻合流、午後からは、マスト置場、艇の整備などの他、周辺を清掃して午後2時30分解散。ほとんどタイヤ交換のための整備でしたが、久しぶりにヨットに触ることができましたし、名古屋港の空気に触れることもできました。
 来年度は私にとって、現役部員として最後の年になります。現役の最後としてヨット部の活動を充実したいと思っています。

【20年度後半活動予定】(主要なもののみ)
21年1月下旬〜2月上旬 総会
21年1月13日 1月例会
   2月10日 2月例会
   3月10日 3月例会
   4月14日 4月例会
 随時  練習&整備


【編集後記】   〜今回は比較的短い?〜
 12月の部報はいつもなら12月20日頃に発行され、有馬部員が即配送していれば、十分年末に間に合うところですが、今回は私自身も色々あって(後述)、さらに鈴木部員の寄稿文が12月25日に届いたこともあり、お手元に届くのがかなり遅くなったことをお詫びします。
 さて、私事ですが、長女が結婚しました。「花嫁の父」というのは、何だか寂しい響きがあります。ドレスはどうするか、披露宴の料理にはやっぱりデザート・ブッフェ(ケーキやスイーツのバイキング)だよね、と妻と娘の楽しげな会話に入れず、またまたさびしい思いをしていた。
 式が近づくにつれ、古いアルバムを見たり、母子手帳(いつ何を初めてしゃべったとか色々詳しく書いてある)を眺めることが多くなった。私も秘かに記録していた育児日記を取り出してきて、あの時こうだったなどと感慨に浸っていた。そんな両親を尻目に、ご本人は式のことで頭がいっぱい(当然だが)。
 古い記録を見ていると、「こんなに長い間大切にしてきた『宝物』を、どこの馬の骨とも知らぬ男がさらっていってしまう!」という気持ちになる。しかし、よく考えれば、自分だって他人様の「宝物」を奪ったのではないか。
 血のつながった親や子供はいずれ去り、「最後に残るのは、赤の他人だった夫婦のみ」などと、いつも結婚祝いとしてあげる色紙に書いているとおりである。そのため、今でも大切に座敷に飾っている。「元宝物、現座敷豚殿」を。
 娘が生まれ育つにつれて、「絶対の嫁に出さない」と言っていたが(ほとんどの父親はそう言うらしい)、やはり娘は勝手に出て行くもの。今流行のマンション・ウェディングとやらで行い、瑞穂区の邸宅風に造られた会場での人前結婚式でした。土日、それぞれ2組限定というので、時間的には余裕があった。
 手作り感覚で、受付にはそれぞれ思い出の品を展示したり(それぞれの両親の結婚式の様子の写真も)、自前のクリスマスツリーやリースも飾られた。このリースは、我が家の庭の藤のつるや梅もどきなどを使い、昔よく作ったもの。さらに、娘には内緒で小さい頃の写真9枚を額装して受付に飾った。サプライズ用なので、娘に気づかれないように選定・作成するのが大変だった。  娘が是非したいということで、中庭でこの地方では伝統の菓子投げもした。披露宴では来賓挨拶もそこそこで、友達の挨拶や余興というより、司会者がそれぞれにインタビューするというスタイルだった。今風なのだろうか。大学の野球部で知り合ったこともあり、ウェディング・ケーキも野球場型であった。
 さて、式の当日前までは、その場を思い浮かべるだけで「ハンカチでは足りない、タオルが要る」と言っていたが、クライマックスの新婦が読む「両親への手紙」では、不覚にも少しうるっとしたがハンカチすら要らなかった。すでに涙が枯れていたのか、隣にいた座敷豚殿の号泣で、福田前総理のように自分を客観視できたのだろうか?
   実は、娘は来年1月初旬まで仕事の関係で同居を続けるので、嫁に出したという感覚が薄いのも事実。2次会をして、市内のホテルに泊まり、翌日家に帰ってきて、毎朝、いつものように弁当を作ってくれている。帰って来た時、『お帰りなさい』とついつい言ってしまった後、慌てて口をふさぐほど。しかし、来年は鹿児島に行ってしまう・・・。
 娘を持つ父親の胸中を是非お察しいただいて、この場で泣き言を書くことをお許しください。
(YK)