No.23(No.85号) 2007/12/21 (Y.K.)   

《部報は家族の皆さんにも回覧して部活動の理解と協力を》

 毎年この時期になると月日の経つのが速いとぼやくことが多い。『地球の自転が速くなっていて、公転の速度も速くなっているのでは』とさえ思うほど。なぜこんなに一年が速いのかと考えると、自分の人生経験での割合に関係するのではという説もある。例えば10歳の子供の1年は1/10、50歳の人の1年は1/50となり、年々それだけ短く感じられるというもの。何か納得できそうで納得できない感じがする。そうなら、80歳の老人の1年は1/80で、あっという間の1年だろうか? その頃はボケていて、時間の感覚が無いのかも知れない。毎日が日曜日みたいな生活をしていたら『今日は何曜日?』となり、時間の長短の感覚がなくなるのではないか?
   そんな時間の無駄使いはこれくらいにして、今号の内容紹介ですが、鈴木部員の過去4度にわたるニューヨーク探訪記「ニューヨークのJAZZに恋して」の寄稿(第1弾)があります。
そして、相変わらず長い編集後記には、ただ今大ブレーク中の決め台詞「そんなの関係ねぇ」に対抗する方法を「男はつらいよ」の寅さんから学んだこと、『手作りヨットで日本一周6500キロ ヤワイヤ号の冒険』という「絵本」のこと、榊原半田市長のヨットでの世界一周のエピソードなど、いつものように活動報告よりも盛りだくさんです。 では、まずは全国大会の結果、伊勢湾クルージングなどの今年10月からの活動報告から。

【活動報告(平成19年10月〜12月)】
《ヨット部 10月例会》
開催日時:平成19年10月9日(火)
開催場所:西庁舎12階会議室
出席者:水野、西田、川浪、鈴木、吉岡、有馬、知田、小島
概要:主な議題は以下のとおり。
@全日本自治体職員ヨット競技大会の最終確認
A伊勢湾クルージングの出欠・集合・準備等の確認
 参加者:水野、西田、鈴木、吉岡、加藤、小島 (川浪:前夜祭のみ)
 宿泊先は、色々検討したが、例年通り「海香」とした。鳥羽国際ホテルは係留施設があり、魅力的だったが、満室だった。答志島も近いが、係留施設等に未知の部分があり、難があるとした。

《第34回全日本自治体職員ヨット競技大会》〜気まぐれ琵琶湖の風と水草との熱き戦い〜
開催日時:10月12日(金)〜10月14日(日)
開催場所:滋賀県立柳が崎ヨットハーバー
概要:
 相変わらず琵琶湖特有の気まぐれ風に翻弄されて、選手も運営側もドタバタした。12日は開会式の後、午後からスナイプ級、シーホッパー級それぞれ2レース予定していたが、風に翻弄され各1レースのみとなった。レース中に風がまったく逆方向になったり、360度変わるなど、コース短縮を余儀なくされたりして、大変なレースとなった。しかも、もうひとつ琵琶湖特有の、センターボードや舵に絡みつく「藻」が船足を急に止めてしまう。各チーム苦労して、舵に絡みつく藻を取っていた。
   13日は微風の中、何とか各級4レースをこなして、乗り換えの余裕の無いチームの選手は、ぐったりとなった一日だった。ウエットスーツを持っている水野選手がシーホッパーに乗り、鈴木・吉岡選手の「合わせて0.2トン組」はスナイプに乗ったが、微風ではその体重のアドバンテージを活かせきれなかった。しかし、成績は午前中6,5位と良かったが、午後8,10位と定(低)位置となった。水野選手は、前日10位、2日目の最初のレースで入れ込みすぎたか、リコールでDNFとなったが、その後、8,7,6位とレース毎に順位を上げて、3日目の残り2レースに希望が持てる成績だった。ただ、このDNFが順位に大きく関わってくることは翌日分かった。
   2日目の夜は、恒例のレセプションパーティで、相変わらずの盛況だった。昨年から参加の福山市の踊りと女性部員のアントニオ猪木の顔真似、今年から参加の広島市のふんどし男など新たなキャラクターが登場し出した。しかし、その一方では徐々に退職を迎えて、少しずつなじみの顔が減ることもあり、「あと何年?」というのが挨拶代わりになってきた。
   我が部の余興はいつもの紙飛行機投げだが、吉岡選手の賞品選びが絶妙だったため、あえてゲーム開始前に賞品の紹介をしたら、参加者が異常に燃え上がった。
  〆はいつもの半田のマコチャンがノリノリのパフォーマンスと琵琶湖周航の歌の合唱で幕を閉じた。
   今回の宿泊施設は大津競輪場の選手宿泊施設で、開催日でなかったため利用できたが、1部屋4〜6人宿泊でき、室内も合理的なレイアウトになっており、またバイキング方式の食堂の料理も良く、夕食は一人1枚ずつステーキも出た。
    3日目は、無風状態で、艤装後は風待ち。半日陸でみんなが集まりダベリングとなった。
中部エリアのチームが集まり、自然に中部の連盟臨時総会となった。来年度は半田チームが中部近畿大会(毎年7月第1土日)の幹事チームだが、人数などのため難しいとのこと。どこのチームも事情は同じで、愛知県庁、名古屋市役所、半田市役所で事務局事務を分割、分担して行うという提案があった。また、5月中下旬に各チームが集まれば合同練習も可能で、各チーム1艇でも練習ができて、やる気が出るのではということで、調整を図ることとした。思わぬ風待ち総会での成果となった。
 結局、3日目の第6,7レースはノーレースとなったため、成績は前2日間の5レースの結果となった。
   予定より早めの閉会式の後、高速道路のETCの割引も考え、土産物屋の「鮎の里」など琵琶湖周辺を寄り道しながら帰路についた。お疲れ様でした。
   勇姿はHP掲載の写真でどうぞ。
<成績及び参加チーム>
優勝 福山市役所19点、 準優勝 半田市役所33点  3位 高松市役所 33点
 4位 京都市上下水道局46点  5位 広島市役所60点  6位 三重県庁65点
 7位 大津市役所74点  8位 愛知県庁80点  9位 名古屋市役所 81点
 10位 東京都庁 84点  11位 横浜市役所 98点 12位 岡崎市役所 123点
                     
《伊勢湾クルージング》
開催日時:平成19年11月2日(金)〜4日(日)
開催場所:伊勢湾及び鳥羽本浦「海香」
出席者:水野、西田、深谷、鈴木、吉岡、加藤、小島、川浪
概要:
   例年通り、金曜日午後から出港前準備と前夜祭となった。久しぶりの深谷「太公望」の参加で、盛り上がった。人生相談から仕事の話まで、朝まで続くかと心配したが、歳をとったのか珍しく酒が回って早めの就寝となった。
   翌朝、加藤、吉岡の合流後、出港となったが、風がいまひとつ無く、機帆走で鳥羽に向かうことに。秋の穏やかな天気で、セントレアに離発着する飛行機を見ながら、いつもどおりの宴会モードの航海となった。桃取水道に入って、焼き豚チャーハンの昼食後、鳥羽で加藤が下船して、一路、本浦の海香へ。海香で温泉にゆっくり入り、夜の宴会では生牡蠣も追加してもらった。いつも食べきれないので、少し宿泊代を落としたが、メニューはいつもと変わらなく、部屋に戻ったら、みんなそのまま寝てしまった。部屋で飲み直そうと用意していた酒やつまみには手をつけないままだった。
   翌日、西田を鳥羽で降ろし、鬼崎に向かった。船上では、相変わらず宴会モードと人生問題、家庭問題などで不謹慎だが盛り上がった。しかし、最近話題がおじさん臭くなって良くないが、不調だった美州のエンジンは事前の整備でビンビンだった。
   今年も大満足のクルージングであった。

《ヨット部11月例会》
開催日時:平成19年11月13日(火)
開催場所:西庁舎12階会議室
出席者:水野、知田、佐藤、小島
概要:主な議題は以下のとおり。
@伊勢湾クルージングの反省
Aその他

  《ヨット部 12月例会》
    忘年会等が重なり、出席者が少なく、流会とした。

【19年度活動予定】(H20年1月〜3月:主要なもののみ)
 H20年1月下旬〜2月上旬 総会(日程は別途連絡予定)
 随時  練習&整備


【編集後記】  〜相変わらず長いよ〜
 さて、編集子と同姓同名の若手お笑い芸人「小島よしお(義雄)」が大ブレーク中で、動画サイト「ユーチューブ(You Tube)」で週間アクセス数世界5位(07年5月)になったとか。一発芸だけの使い捨て芸人で、来年は「ダンディ坂野」、ハードゲイキャラの「レイザーラモンHG」同様、いなくなるとのもっぱらの評判。しかし、本人に言わせれば「でも、そんなの関係ねぇ!ハイ オッパピ〜!」と言うだろう。
 この決め文句を禁止した小学校が沢山あるとか。先生が何か注意しても生徒が「そんなの関係ねぇ」と言って茶化されては、指導もできない。そんな時は、「フーテンの寅さん」のように「それを言っちゃーおしめぇよ」と言い返してはどうか? 山田洋二監督の松竹映画「男はつらいよ」に出てくる近所の朝日印刷(妹・さくらの夫・博が勤めている)の「たこ社長」が、寅さんに何か苦言を呈すると、寅さんがしたり顔で言うせりふだが、その後に続く論理は何か変で、たこ社長が正論でも寅さんのほうが正しくなってしまうからおかしい。

   ここで、ヨットの絵本についての話題に変えます。
 手元にやっと届いた『手作りヨットで日本一周6500キロ ヤワイヤ号の冒険』という「絵本」があります。これは1961年(S36年)、京都で高校時代からの山仲間の大学生が集まって作った「冒険クラブ」のメンバーが、素人ながらヨットを手作りし、日本一周をしたという内容です。福井県の小浜の海岸でヨットを作っている最中に、近所の子供たちが集まってくるので、手伝ってくれというと、「イヤヤワイヤ」と言って断られたが、その言葉から「ヤワイヤ号」という名前に決めたとか。
   何とか全長わずか6.4mのヨットが完成し、6月30日に小浜を出港し、日本海を北に進み、途中シケにあったり、漁船に助けられたり、寄港した漁港で世話になったりしながら、函館から太平洋岸に出て、11月末に銚子までたどり着いた。しかし、冬の航海はきつく、港に陸揚げして冬休みとした。翌1962年(S37年)7月、修理をして、再び航海を開始し、潮岬では台風に遭遇して避難したり、魚を釣ったりして、九州を回り、90ほどの港に寄りながら日本を一周し、9月8日、小浜に戻った。
   「ヤワイヤ号の冒険」(絶版)というのが原作で、絵本作家の関屋敏隆氏が5年がかりで完成し、この夏出版されたもの。45,6年前にこんな胸躍る冒険をしていた若者がいたとは知らなかった。しかもヨットは素人で、しかも手作りとは驚いた。この冒険クラブのメンバーには、他に第1次南極越冬隊長の西堀栄三郎氏の息子さんや、生物・人類学者で探検家の今西錦司氏の息子さんも入っていたとか。
   この「ヤワイヤ号」の冒険中に堀江謙一氏が単独太平洋横断(1962年、S39年)に成功した。さらに、1974年(S49年)に単独無寄港世界一周にも成功した。しかし、おそらく日本人で初めて世界一周をしたのは、1969年(S44年)に現半田市長榊原伊三氏ら同級生4人で、その内の一人だった大工の新美氏手作りヨット「白雲」で達成した航海だと思う。
 高校時代からヨット部で活躍していた榊原氏は当時半田市役所職員だったが、世界一周の夢をかなえるため、半田市役所を退職した。まず太平洋を渡り、ロスで半年英会話の勉強をし、パナマ運河からカリブ海へ出た。ここで嵐に遭いマストを折り、修理代を稼ぐため現地でアルバイトしたりして、ブラジルなどを寄港して喜望峰を回ってオーストラリアへ。そしてグアム経由で2年1ヶ月ぶりに日本へ戻った。途中3回も盗難にあったとかで散々な航海だったが、現地での交流などして、大いに楽しんだようである。今なら、GPSやインターネットなど様々なサポート体制や豊富な情報があるが、当時は大海原を木の葉のような船で、よくもまぁ航海したものだと驚くばかりです。
?  その後、榊原氏は市役所に戻り、知らない内に助役、市長となり、現在2期目である。昔はレースの運営船で一緒にビールを飲んでいたが、まさかこんなに偉くなるとは思ってもみなかった(失礼)。
 ちなみに、半田高校ヨット部の後輩には、歴史小説作家であり、ヨット選手としても全日本選手権15回優勝、世界選手権8回出場という二宮隆雄氏(今年9月に急逝、享年61歳)や、岡戸氏(半田市水道部長というよりヨット部長)などがみえる。多士多才を輩出しています。
   我が部もこのたび新たなる才能を発揮したJAZZ評論家(?)をデビューしました。このあと続く「JAZZ鈴木」の寄稿は、NYのJAZZにまつわるガイドブック的に読める内容となっています。NYのJAZZ的雰囲気を楽しめるもので、続編にも期待がもてます。  部員各位の投稿を待っています。 (YK)