No.19(No.81号) 2006/09/15 (Y.K.)   

『 部報は家族の皆さんにも回覧して、部活動の理解と協力を 』   


 またひとつ甘美な(?)思い出を残して、あの「夏」が去っていきました。夏が過ぎて行く時、どうしても小学生のころを思い出してしまうのは編集子だけでしょうか? 八月末に宿題残してあわてた思い出より、青い空と恐ろしいほどに膨れ上がった入道雲、セミやトンボ、カブトムシにザリガニなどの思い出が多いのは、幸せなことのように思えるのです。そんな夏のワンシーンを思い出して、ふとニヤッとしている自分に気がつくことがあります。
 さて、今年の夏は、ニューセールを駆ってわがヨット部は、良い思い出をたくさん残せたでしょうか?  今号はそんなニューセール奮戦の最新情報、ヨット教室体験記、相変わらず長い編集後記には、白帆陰読書案内(安部晋三著「美しい国へ」、「ビジョナリー・カンパニー【特別編】」ほか)、「LOHAS・地産地消・医食同源・身土不二」について。
 寄稿は漂流記物で、南極で遭難した28人全員が2年後に隊長の見事なリーダーシップ等で奇跡的に助かるという実話の「エンデュアランス号大漂流」などで満載です。 それではまず活動報告から。

【活動報告(平成18年6月〜9月)】
《ヨット部 6月例会》
開催日時:平成18年6月13日(火)
開催場所:西庁舎11階会議室
出席者:西田、水野、川浪、吉岡、有馬、知田、佐藤、鈴木(2次会から)
概要:主な議題は以下のとおり。
@中部近畿大会
 参加者9名の確認と移動方法、準備作業について
Aヨット教室
 8月5日開催予定、参加者確認、保険の手続き、昼食、朝風の回航について

《ヨット部 7月例会》 女性部員入部か?
開催日時:平成18年7月11日(火)
開催場所:西庁舎11階会議室
出席者:西田、加藤、吉岡、鈴木、有馬、知田、佐藤、小島、水野(2次会から参加)
ゲスト:真壁、八木(交通局新人女性職員)
概要:主な議題は以下のとおり。
@ヨット教室
 参加者:14名  部員11名(「朝風」:4名、「美州」:4名、陸上本部:3名)
 集合時間:参加者 10:00、部員 9:00
Aファミリーディ
 参加者確認、集合場所、集合時間、準備役割などの確認
B全日本大会
 概要、宿泊場所、集合時間などの確認
 
《第31回中部自治体職員ヨット競技大会》 念願の近江牛、だがニューセールは!?
《第25回中部・近畿自治体職員ヨット競技大会》
開催日時:平成18年7月15日(土)〜16日(日)
開催場所:柳ヶ崎ヨットハーバー(大津市)
出席者:柴沼、水野、川浪、吉岡、有馬、知田、佐藤、鈴木、小島
レース日程等:3レース 各チーム スナイプ級 1艇、シーホッパー級 1艇
参加チーム:名古屋市役所、愛知県庁、三重県庁、半田市役所、岡崎市役所、大津市役所、京都市上下水道局
概要: 5年ぶりの琵琶湖でのレースである。先回も午後の受付までに時間があるので、大津までの途中、安土城址を見学したが、今回は彦根城に寄った。まずは歴史・文化に触れて英気を養った、と言うのは格好良すぎるが、先回同様に近江牛の焼肉を食べるための時間調整。先回は、焦ってつまらない(社長ごめん)焼肉チェーン店「カルビー大将」(名古屋のアトムボーイ系列?)に入ってしまったが、今回は正真正銘の近江牛専門店を探した。やっとの思いで入ったのは、老舗の「近江牛毛利志満(オウミウシモリシマ)」。
 明治2年、創業者の兄弟は近江牛を東京、横浜に運び、外国人と取引したり、浅草に牛鍋専門店「米久」を開くなど、近江牛の知名度を上げた先駆者だとか。大きな店だが混んでいたので、待つ間メニューを見ると値段にビックリ。何とか「○○御膳」というランチメニューを探し出した。一応、ステーキに牛刺しもあり、値段もリーズナブルだった。3枚ほど入っていた牛刺しには一同驚きの声を上げた。口の中で溶ける感じが分かるのだ。まいう〜!!(この記事は女房には読ませられない)
 大津に着いて、艇の受け渡し、整備を終え、宿に入った。琵琶湖湖畔の宿は何んとマリーナ付。夜のレセプション・パーティは午後からの雷雨が続く中、外のテラスでの焼肉パーティ。「えっ!またか」と思いきや、なかなかの肉でおいしく、「たれ」があの「エバラ黄金のたれ」風のこってりタイプでなく、なんとソーメン等の「めんつゆ」風だった。さすが関西風だが、意外にこれがいける。 パーティの余興はいつもどおりの盛況だった。
 翌日のレースは、相変わらずの藻とヘドロの琵琶湖だが、意外に強風で沈艇続出。わが部は強風には強いはずの重量級選手ぞろいだが、ニューセールの効果もなく、パッとしない、いつもどおりの成績だった。中部近畿での順位は、優勝半田市役所(12)、準優勝大津市役所(18)、3位三重県庁(27)、4位岡崎市役所(27)、5位京都市上下水道局(30)、6位名古屋市役所(31)、7位愛知県庁(32)でした。
 25th中部近畿自治体職員ヨット競技大会
 その その その 

《ファミリーディ》 吉岡ファミリー参加できず少し寂しい
開催日時:平成18年7月29日(土)
開催場所:鬼崎フィッシャリーナ
出席者:西田、水野、川浪、有馬家族、知田家族、佐藤、鈴木、小島
概要: 天気は上々、準備は万端。ファミリーディ日和で、大盛況。今年は吉岡大家族がTDLと重なってしまい、少し人数的には寂しかったけど、元気な子供たちとそれ以上に元気な「大きな子供たち」にとって、いい一日になった。(準備と後片付けが大変だけどね)
《ヨット教室》 セントレア沖のクルージングを満喫
開催日時:平成18年8月5日(土)
開催場所:鬼崎フィッシャリーナ
出席者:西田、水野、川浪、吉岡、加藤、有馬、知田、佐藤、鈴木、桜井、小島
概要: 14名(子供含む)の一般参加者があり、「美州」と「朝風」に午前中分乗して、セントレア沖や連絡橋くぐりを楽しんだ。ヨット教室といっても、昔のように二人乗りディンギーに乗るのではなく(レンタル料が高く採算が合わない)、最近はセーリングクルーザーによるクルージング教室になった。参加費を抑えてあり、たいした昼食(弁当等)も用意できないので、ファミリーディのように直営でイカ・肉焼きそば等を用意した。西田さんぉ得意の「たこマリネ」やピザ等もあり、解散後も朝風回航要員など残った部員で二次会になってしまった。

『 ヨット教室参加者からの礼状 』(原文のまま)
 先日の「ヨット体験教室」本当にありがとうございました。
 最初は船酔いを危惧しましたが、あの船上での爽快感で、そんな心配は吹き飛び、ヨットの心地良さに夢中でした。
 そして手作りの料理&ビールも大変おいしくいただき、ご馳走様でした。
 来年もこんな素敵な企画があれば是非参加したいです!
 猛暑での企画・準備に感謝申し上げます。
        北保健所 繻エ

 ヨット部体験教室に参加させて(いただき)ありがとうございました。
 "美州"ホームページを見たらたくさんの写真が美しくとれていたのでちょっとビックリ。
 広い海、全部私のものょ〜〜て感じがして本当に気持ちよかったです。お天気がとてもよく、海の上に小魚(結構大きいボラだったけど)がピョンピヨンはねたり、エイがヨットの近くまで泳いできたり。そして海辺で食べたバーベキュー本当においしくいただきました。特にイカ(タコだったはず)のマリネに焼きそば・・・・海の男って感じがしました。
 また、海の上から見上げて見るセントレア空港に降りる飛行機を見るのは生まれて初めての経験でした。チョー幸せって感じ・・・・
 以上、ヨット"美州"に乗船させていただいた客のS.Iの感想でした。また、楽しい企画楽しみにしています。H18.8.18
※ ( )内は編集者加筆(北保健所 石黒さゆみさん、ありがとうございます。ついでに入部してくれませんか?)

《ヨット部 8月例会》
    開催日時:平成18年8月8日(火)
開催場所:西庁舎11階会議室
出席者:水野、吉岡、有馬、知田、佐藤、小島(第2会場から出席=西田、鈴木)
概要:主な議題は以下のとおり。
@全日本の確認事項
Aセール保管方法、船台タイヤ修理など
 当初考えていた塩ビのパイプに入れる案は、佐藤部員の調査によるとかなりの重量になり、運搬や保管に問題があるとのこと。別の方法を考えることとした。当分は吉岡邸でお願いします。

《第33回全日本自治体職員ヨット競技大会》 豪華津軽三味線のレセプションパーティ
開催日時:平成18年8月25日(金)〜27日(日)
開催場所:海陽ヨットハーバー(蒲郡)
出席者:水野、吉岡、鈴木、小島(25〜27)、有馬(26〜27)、知田(27)、佐藤(25)、加藤(25〜26) 朝風(桜井、松田)
参加チーム:東京都庁、横浜市役所、愛知県庁、名古屋市役所、岡崎市役所、半田市役所、三重県庁、大津市役所、京都市市役所、福山市役所、高松市役所
レース日程:(実施)25日 第1レース、 26日 第2レース〜第6レース、 27日 第7レース
  概要: 初日に2レースの予定だったが、風も弱く1レースのみだったことが、次の日の恐怖の一日5レースという強行軍の日程となった。午前中は4m前後で、午後になってから7〜8m位の風になり、沈艇も出だした。1日に5レースとなると乗り換え要員がいるチームはまだしも、ほとんどのチームが選手4人で参加しているので、かなり疲労がたまったようだ。
 水野生涯現役選手もひざを痛めての強行参加だったが、ひざが思わしくなく、選手も足らないなど、わがチームは2艇の内1艇棄権(第5,6レース)ということとなり、成績にも大きく影響した(言い訳ではないが)。
 今回の大会もそうだが、各チームの選手もほとんど新陳代謝もなく、平均年齢が毎年1歳ずつ確実に上がっている感じ(恒川プロテスト委員の感想)。先回も言ったように、「自治体の競技大会」というより、「爺たちの競技大会」という様相である。
 恒例のレセプションパーティは、小宮事務局長が一時帰京したため、水野さんが急遽総合司会となった。それぞれ例年通りだが、ジャズ演奏あり、変なギター演奏のイントロクイズや福山市役所のアイドル橋本さんの猪木・宮里藍の一発芸などがあった。さらに、豊田市役所の長坂さん紹介の、津軽三味線の三重奏は迫力があり、圧倒された。大トリはいつもの、半田市役所マコチャンのパフォーマンス。圧倒的な津軽三味線の後での出番で、少し戸惑いがあったが、20年以上同じ事やっても全員ノリノリなのは何故か?
 今回は京都市水道チームが参加していなかったので、締めのクラリネットの伴奏での「琵琶湖周航の歌」の合唱が危ぶまれたが、なんと豪華に津軽三味線の伴奏に合わせての大合唱となり、盛況のうちに散会となった。  3日目は1レースのみで、程よい風で順調に進んで、早めの閉会式となった。
 成績は、優勝高松市役所(47)、2位半田市役所(107)、3位横浜市役所(111)、4位福山市役所(128)、5位大津市役所(144)、6位愛知県庁(151)、(なかなか名古屋市役所が出てこない) 7位東京都庁(177)、8位三重県庁(207)、9位京都市役所(228)、10位名古屋市役所(241)、11位岡崎市役所(248)だった。セールの新旧だけではなかったかもしれないが、もしよれよれのセールのままなら、最下位だったと思う(ことにしよう)。
 33th全日本自治体職員ヨット競技大会
 その  その 

《ヨット部 9月例会》 久々の女性部員!?
開催日時:平成18年9月12日(火)
開催場所:西庁舎11階会議室
出席者:西田、水野、川浪、加藤、鈴木、有馬、知田、八木美帆【女性】、小島
概要:主な議題は以下のとおり。
@伊勢湾クルージングについて
 牡蠣の生育状況を考慮して日程を11月3〜4日、または4〜5日に変更し、参加状況、宿泊先の空部屋状況などを考慮して決定するとした。
 参加者が10人以上なら朝風も、9人までなら美州のみで。
A整備日程(10月15日、予備日10月22日)
 整備項目:船台のタイヤ交換、艇本体、備品・工具の整理・買い替えなど
Bその他
 ・名港開港100周年記念事業について
  ジュニアの全国大会の誘致に関係者が努力しているが困難な状況。そのほか関連行事の参加協力要請には利用者として協力していくことを確認。
 ・「ヨット教室」決算
  天気も良く成功裡に終えたが、保険、昼食代、朝風謝礼・出艇料・燃料費等の支出に対して、参加費2000円/人(12名)で若干の赤字となったが、部会計からの補填とした。


【編集後記】  〜相変わらず長いよ〜
 毎年この時期に部報を出すのは、夏の諸活動の報告をいち早くお知らせするためです。秋の諸活動を報告する12月末発行号と、年間活動予定を報告する5月末発行号は、部費納入のお知らせ(請求)が主目的です。 ニューセールへの期待に今年は十分こたえられなかったが、来シーズンに期待してください(鬼が笑っていますが)。

 さて、部報No.78号(05年9月20日)で『LOHAS(ロハス)』という、健康や環境に配慮したライフスタイルが米国を中心に流行していることを紹介したが、日本でも広がってきているようだ。話は少し変わるが、NHK放映の韓国大河TVドラマ『チャングムの誓い』は、16世紀の朝鮮王朝の宮廷料理人でもあり、王様の初めての医女(女性医師)の活躍を描いたものだが、主演女優のイ・ヨンエがいい♡♡。吉永小百合と壇ふみを足して二で割ったような日本人好みのぽっちゃりした感じである。
 この物語には中国から伝わってきた「医食同源」という概念が底流にある。これに関連して、「身土不二(しんどふじ)」や「地産地消」という概念も今後頻繁に話題になるかもしれない。「医食同源」は「食生活がきちんとしていれば健康である」という意味だが、すっかり定着した感がある。「薬食一如」も同義であろう。「身土不二(しんどふじ)」は「身体(身)と環境(土)とは不可分(不二)である」という意味だそうだ。人間もその環境で育った生き物のひとつで、その環境で育った食べ物が一番だという考え方だろう。スローフードにもつながる「地産地消」は、元々は地域産業の活性化の標語だったのだろうが、「その土地で生産された農産物等をその土地で消費するのは、産地直送で新鮮で、遠距離輸送によるエネルギー消費を減らすなど環境にもやさしい」という考え方ともいえる。
 いずれも環境や健康に関係する概念・思想・信条等というべきもので、何も英語でLOHAS等と使わなくとも、立派な漢字の語句があるので、ここに紹介します。

この夏の白帆陰での読書案内
 まず、次期総理候補の最有力候補安倍晋三官房長官著『美しい国へ』(文春新書)。安倍氏の政治信条や政策等をまとめた著書で、一応次期総理が何を考えているのか興味があったので読んでみた。
 氏はここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する「闘う政治家」を目指す。自立する国家、郷土愛に根ざしたナショナリズム、集団的自衛権の行使と憲法改正、日米印豪との関係強化、少子化対策は子育ての喜び、家族愛から。教育の再生では大学入学の条件に、一定のボランティア活動を義務付ける。教育基本法改正、教科書、学習指導要領の見直し、全国的学力調査の実施とその結果が改善されない場合、教員の強制的入替可能など、さすが岸信介の孫、安部晋太郎の息子、正統派保守本流の政治家だなーという印象。
 ただ、よく整理されているが、理念先行で具体策に乏しい。年金問題等は具体的数字を並べているが、ほとんどは官僚作成の資料からの引用と思われる。某大学教授がゴーストライターといわれているが、本人が日頃から書き留めているものを、まとめたものであろう。
 次に、『ビジョナリー・カンパニー【特別編】』(ジェームズ・C・コリンズ著:日経BP社刊)は、企業経営者たちの間ではバイブルとなっている大ベストセラー『ビジョナリー・カンパニー』とその続編『同A 飛躍の法則』のさらに続編で、民間企業ではなく公共・社会部門の組織に対する提言である。
 前2書では、企業の基本理念・ビジョンがしっかりしている企業(ビジョナリー・カンパニー)は、売れ筋の商品や経営者が変わっても繁栄し続ける「グレイトな」会社であるという。飛躍するのはカリスマ型リーダーではなく、物静かなリーダーであるという。
 『特別編』では、社会・公共部門は民間企業と違い経営のインプットの指標(税金、基金等)はあっても、グレイト(偉大)さを示すアウトプット指標をなかなか見つからず、また組織や権限の複雑な構造のため、リーダーは強力なリーダーシップを取れないことが多いとしている。リーダーは個人としての謙虚さと職業人としての意志の強さを組み合わせていなくてはならない。規律や熱意のない人を動機づけようとせず、まず人を選ぶこと、利益動機のない中で、経済的原動力をいかにして見直すか、そしてその勢いをいかにつけるか、などを示している。
 読み進むうちに、自分の職場や組織を思い浮かべると、いろいろ示唆に富んだ内容であった。詳細は差障りがあるので、各自読んでみていただきたい。長くなるのでこの辺で。(YK)


  寄 稿  『エンデュアランス号大漂流』を読んで
  (光文社刊 エリザベス・コーディー・キメル著、千葉茂樹訳)   
小島克生  
 海洋文学について興味を持っていても、なかなか良い作品が少なく(特に日本の)、どうしても海外物となってしまう。特に、極限状態での人間そのものが試される「漂流」に関する物語、「漂流記」に注目していることは、既に部報等の寄稿で書いているとおりである。今回登場する帆船、エンデュアランス号は、ENDURANCE(忍耐)という意味で、まさに漂流記にぴったりの船名である。この物語がより興奮するのは、それぞれの劇的な瞬間などの記録写真が数多く残っており、それが各場面で挿入されていることである。まずはあらすじから。
   《あらすじ》
 地球が丸いことが証明されるかなり前から、「知られざる南の果ての大陸」として南極大陸が地図に何故か描かれていたようだ。1820年にその大陸は発見されたが、雪と氷河に閉ざされた大陸は20世紀に入ってもなかなか人を寄せ付けるものではなかった。
 1901〜1904年にかけ、ロバート・スコットを隊長としたディスカバリー号は南極を目指した。南極に上陸して、犬ぞりに荷物を積み徒歩での探検にスコットを始め3名が極点を目指したが、700km手前で引き帰さざるを得なかった。その3名のうちの一人がこの物語の主人公アーネスト・シャクルトンであった。1911〜1912年にかけ、スコットは再び極点に挑戦したが、極点にたどり着いた時、そこにはノルウェーの国旗があった。アムンゼンに1ヶ月先を越されてしまった。スコットは失意の中、帰路にブリザードに遭い、全員帰らぬ人になった。シャクルトンはこの探検には参加していなかったが、それ以前の1907年に極点まで150km地点まで近づき、この時点での最高記録を樹立し、また4千m級の山に初登頂した功績で、騎士(ナイト)の称号を授与された。1914年、今度は3千kmに及ぶ南極大陸横断に挑戦するため、資金や隊員の募集を始めた。大航海時代の探検隊は領土拡大という名目で国の援助があったが、この時代では簡単なことではなかった。しかし、シャクルトンの人柄か、資金集めは苦労しなかった。数千人の応募者の中から、26人の精鋭を選び、3本マストの大型帆船(全長約45m、幅約8m、石炭を燃料とするエンジン付)「エンデュアランス号」(シャクルトン家の家訓「不屈の精神」に由来)を準備した。出港後、一人の熱心な若者の密航者が見つかり、隊員は27名になった。出港直前に第一次世界大戦が勃発しイギリスも参戦したため、探検どころではないのではと、イギリス海軍本部に問い合わせたら、すぐに海軍大臣ウィンストン・チャーチル(後の首相)から「続行せよ」と電報が届いた(どこかの頭の堅い国とはかなり違う)。

 何とか出港したエ号は1914年12月初旬に、捕鯨基地でもあり常時人が住む最後の島サウスジョージア島に寄港した。最終準備後、大きな船も押しつぶすほどの流氷が帯状に広がっていたり、巨大な氷山がうようよしている海に分け入るため、慎重に進路を選び、氷を割りながら進んだ。しかし、夏なのに1月半ばにはエ号は氷に閉じ込められてしまった。シャクルトンは船が身動きできなくなったので、隊員たちの体力練成もかね、氷上でサッカー大会を開いたり、気分転換に芝居や講演会、ゲーム大会等も開催した。氷に閉じ込められても、流氷帯ごとゆっくりと流されていた。冬を過ぎ、氷が緩むはずの9月になっても、状況は変わらず、ますます氷の圧力が増し、船を押しつぶしてしまった。犬ぞりに荷物を積み、救命ボート3隻を引きながら、約560km先の緊急用補給基地のあるポーレ島に向かった。しかし、ごつごつとした氷上や氷壁を越えて進むことは不可能だったので、大きな氷盤(約2km四方)の上にキャンプを張り、流れに任せることにした。エ号の残骸から、さまざまな物資を運び出してキャンプを設営した。アザラシは食料ばかりか、その厚い脂肪が料理用の燃料としても使われた。1915年11月21日に、ついにエ号が沈没した。

 絶望的な状況で、隊員たちの健康や精神状態を維持していくため、シャクルトンは目立たないように隊員たちの状態に目を配り、テントの割り振り、食事や仕事の平等さなどに配慮したり、さらにはシャクルトン自身が先頭に立ち、よりつらい仕事をした。そのため、隊員たちから心のそこから尊敬と忠誠心を得ることができた。  隊員の中には、それぞれ優れた才能を持った者がいた。優秀な船長であり、どんな状況でも正確な位置を割り出せる航海士でもあったワースリー。明るくエネルギッシュで、いつも探検に同行している副隊長ワイルド。記録写真担当で、いろいろな道具を作る発明家でもあるハーレー。彼の取った写真がこの本の随所に挿入されており、この絶望的な状況が生々しく伝わってくる。ボートの修理やキャンプの小屋つくり等の船大工のハリー。医師も2名いた。

 4月初旬、キャンプを張っている氷盤が崩れ始めた。100km程の距離にあるエレファント島を目指し、救命ボート3艇を繰り出した。エレファント島に上陸して土の上に立ったのは、イギリスを出港してから1年4ヶ月ぶりだった。しかし、ここにいても救助船は期待できないし、食糧もいつまでもあるとは限らない。どうしても、人は暮らしている一番近い島で、約800km離れたフェゴ島やフォークランド諸島に救助を求めなければならなかった。しかし、風向や海流でたどり着くのは無理で、約1300km離れたサウスジョージア島に向かうしかなかった。
 南極と南アメリカ大陸の間にあるこの海域(ドレーク海峡)は強い偏西風のため、いつも暴風で荒れており、全長7mほどの救命ボートで乗り切れる海ではなかった。ボートの1艇を補強して、シャクルトンは5人のメンバーを選び、4月24日出発した。残った22人の隊員はボートをひっくり返して小屋を作り、当てのない救助を待つことにした。狭い場所に閉じこもり、退屈さと不安の中、些細な喧嘩がよくあった。

 サウスジョージア島に救助を求めて出発したボートは荒波にもまれ、水しぶきがすぐに凍って船を重くしてしまう。キャンパス地で作った甲板の下はバラスト代わりの石や荷物で狭く、絶えず水が入り、寝袋は腐り始めた。6人は寝る組と起きて舵や帆を操り水をくみ出す組に分かれて、交代でボートを進めた。航海士のワースリーは激しく揺れる船の上で、わずかに顔を出す太陽をもとに六分儀での船の位置を正確に割り出した。出航から2週間後に、目指すサウスジョージア島に到着した。しかし、捕鯨基地のある町、ストロームネスが島の反対側になる場所に流れ着いた。切り立った山が迫り、海岸沿いには行けず、ボート壊れているので、氷雪の高い岩山を越えるしかなかった。

 1916年5月19日、シャクルトンら3人は地図もない山を登った。山の尾根の切れ目から下るルートを何度も行ったり戻ったりしながら探した。山越えの向こうは氷河の急斜面で、何百mを意を決して滑り降りるしかないところもあった。2日後、見覚えのある町が遠くに見えた。町に入って、事情を説明し、残してきたあとの3名を救い出した。捕鯨船でエレファント島に残された22名の救出に向かったが、氷に阻まれ何度も引き返さざるを得なかった。探検隊の無事がイギリスに知らされ、戦争中にもかかわらず新聞一面に載り、英国国王から祝いの電報まで送られた。
 何回もいろいろな船でエレファント島に向かったが、なかなか近づけなかった。1916年9月3日、鋼鉄製の小型船で、やっと22名の隊員を救出できた。シャクルトンが島を出てから4ヶ月ぶりで、イギリスを出てから2年近くたっていた。

 非常な苦難を乗り越え、奇跡的に生還した隊員たちは、まだ第一次世界大戦中ということで、シャクルトンも含め戦地に出向いたが、何人かは戦死した。奇跡的に助かった命を戦争はいとも簡単に奪うものだ。
 シャクルトンは戦後、南極大陸を一周する計画を立て、南極に向かったが、途中寄港したあのサウスジョージア島で、心臓発作で死んでしまった。1922年1月5日、47歳の若さだった。墓は未亡人の希望でその島に作られた。シャクルトンが果たせなかった南極大陸横断が成功したのは、その後50年もたてからであった。エベレスト初登頂でも知られるエドモンド・ヒラリーが成し遂げた。

 最近は、エベレストの頂上から携帯電話で登頂の報を受ける時代だが、当時の装備は今とは比べ物にならないほど粗末だった。GPSもなく、追跡装置もない中、あらゆる困難が立ちふさいでも、最後まで希望を失わず、苦難を乗り越え、隊員全員を生還させたのは、シャクルトンの明るい性格、ユーモア精神、冷静で果敢な判断力、気配りとリーダーシップ、何にもまして「不屈の精神」がその奇跡の生還をもたらしたと思われる。
 いろいろな漂流記を読むと、リーダーの資質が生死を分けることは明白である。