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水道局  小 島 克 生  

 恒例となった伊勢湾クルージングだが、平成9年度は例年よりも早かった昨年よりさらに早く、9月13日から14日にかけて行なわれた。天候もこの時期なら、台風と秋雨前線さえなければ例年のような寒風の中の航海にならず、穏やかで、そしてもちろん、よく酒の飲める航海になると意気込んで出帆前の準備に入った。

1.今年も「美州」の他に蒲郡から「朝風」が参加して、にぎやかなクルージングとなった。
 では例年どおり、参加した懲りない面々を紹介しよう。
 まずは「美州」から。
 一段と磨きがかかった自前の「脂肪製」ウエットスーツで出帆前の準備として海中に潜るペラ磨きの名人”船大工”水野
  妻子・家庭から見捨てられ、市立大学の電算室の片隅を”不法”占拠し、ホームページにバーチャルな「ホーム」を築き上げることに精を出す”ホームレスページ”川浪
  毎年、今年こそは人数分の魚を釣ろうと固い決意の”太公望”深谷(この人ほど毎回ニックネームが変わらない人もなく、釣果も変わら・・・)
  そして最後はもちろん、毎回地獄の苦しみの原因を作っている”必殺料理人”小島。
 あっ、忘れるところだったが、「朝風」のメンバーだが、賢明にも「美州」に同乗する”藤巻潤の弟”こと間、以上5人。

 さて次は「朝風」のメンバーについても、補足的に簡単に名前のみ紹介すると
  加山雄三のつもりでも手ぬぐい鉢巻きが似合う”イカサマ雄三”こと渡辺(満)、いつも太公望深谷のペースにはまり大変な目にあう”反省の達人”こと吉岡、消防署の「小さな帽子」が似合うヨット部総務の”ショウボウシ”こと桜井、そして久しぶりの参加の自転車駐車対策室の”チャリンコ”松田(今だにパチンコ店で中学教師に補導されるというウワサ?)

2.9月12日(金)
  今回も、「美州」側には、買い出しなどの足としての自動車がなく、半休した水野・小島は歩いて、水・軽油の補給、プロパンガスの充填、食料・医薬品(胃腸消毒用アルコールとしてのビール・ウィスキー)の買い出しをした。
  例年は、参加者が夜になって順次到着するので、出帆前宴会が盛り上がり過ぎて、俺達に明日はない状況になるところだが、深谷、間は翌日早朝に到着とのことで、穏やか秋の一夜であった。おやすみなさい。

3.9月13日(土)
  昨年と同様、それは、静かな朝であった。深谷、間の合流ですこしにぎやかに。
  さっそく”太公望”は竿の準備で忙しい。
  朝食は、バターロールパンとコーヒー。
  さて、一路、鳥羽に向けて出発。鬼崎から伊勢湾を真っすぐ南に進むと、鳥羽に着くという非常に簡単なルートで、沖に出たら即、船上宴会に変わるというパターンであったが・・・最初は。しかし、「朝風」の船足の遅さが気になっている水野は、ビールもいつものペースにならず、師崎沖まで回り道をして様子を見にいくことになった。知多半島沿いを走りながら、携帯電話で互いの位置を確認しながらミーティングポイントを探したが、結局、「朝風」と会えなかった。前線の接近で徐々に大きくなった波の陰に見え隠れする「朝風」を神島近くで確認したが、かなりロスタイムになった。
  神島の北側をかすめて、目的地の浦村湾(本浦)に向かうが、フェリーの航路と重なるし、波の状態から見て岩礁もあるようで、慎重にルートを選んだ。「朝風」はそんな心配ももろともせず、否、無謀にも最短ルートで進んでいて、「朝風」の共同オーナーでもある水野は、気が気ではなかったようだ。

  「朝風」に追いつき、何とか浦村湾近くに入ると、いよいよ大公望深谷の出番である。
 昨年とはポイントが違うが、結構手応えはある。昨年の反省を生かして太目の釣り糸を用意したが、やっぱり切られてしまった。イライラしている大公望深谷に追い打ちを掛けるように外野からヤジが入ったので、集中力を欠き、やはり今年もわずかな魚をみんなで分けることになった。
  果報は寝て待て、大魚は昼食を食べて待て、ということで、「美州」の昼食は、五目ピラフにした。昼食が終わっても、昼寝しても釣果は大きく変化しなかったが・・・
  大王崎・五ヶ所湾方面に向かったはずのOYC・鬼崎ヨットクラブの「グッドタイミング」が浦村湾に入ってきた。波が大きく、船酔いが激しい乗員がいるので、大王崎まで行けず、牡蛎浜で牡蛎を仕入れて答志島に行くとのこと。やはり、牡蛎の養殖をするほど波静かなこの浦村湾は昼寝にちょうどいい。早く定宿「銀鱗」の桟橋に行き、夜の宴会の準備に取り掛かろうと、糸を切った大物に後ろ髪を引かれる思いの大公望を説得した(本当は早くみんなから諦めるように言ってほしかったかも?)。
  「銀鱗」は昨年も紹介したように立派な新館を作ったが、そのせいかどうかはわからないが、今回は宿泊者でないので刺身の舟盛りはできないとか、牡蛎は出始めだから無いかもしれないし、値段も高いと言われていた。事実牡蛎浜から返ってきた「グットタイミング」は牡蛎を仕入れることができなかったそうだ。しかし、何とか「銀鱗」からむき牡蛎と殻付き牡蛎を仕入れることができて、本来の目標は達成できた。
  今夜のメニューは、カキフライ(レストランのように衣がやけに厚いものとは違う)、殻付カキのむし焼き、釣った魚のてんぷら、野菜のかき揚げ、かぼちゃの素揚げ、しゃぶしゃぶ、カキ雑炊、サラダなどであった。例年どおり、”必殺料理人”の予定表には、「煮魚(釣れた場合)」と表記してあったが、やっぱり今年も・・・

  さて、先日、東京農大のある教授の牡蛎についての文章を読んだので、その話を紹介したい。その教授は東京日本橋界隈を用事で歩いていたら、電柱に「日本橋蠣殻町」という住所表示を見て、どうにもヨダレが止まらず、築地の旧知の鮮魚商にカキフライ用のカキを選んでもらった。その後、取るものもとりあえず、待ち切れず狂わんばかりに急いで家に帰ったと容易に想像できる文章が続く。少し長いが、あえて引用したい。
  『・・・カキフライ作りをした。しかし、最後の一個まで待ち切れず、途中で揚げたてのホッカホカの熱いやつを口の中に放りこんだ。それがとても熱かったので、ウファフファウファなどと声を出し、顔を上に向けて口を開いて、冷たい空気を自然に入れるようにした。
  胸の高鳴りを感じつつ、次にじっくりとかみしめてみた。サクリと焦げかけ前のキツネ色のパン粉から軽妙な音。さらにかむと今度はカキの肉のあちこちから、クリーミーな美味汁が出てきた。・・・』
  この後、カキの旨味が押し寄せてきて、衣の焦げた香ばしい香と、カキから出た潮の香が鼻に伝わり、ついにこの教授は悶絶状態になったという。
  何かこの教授、少し変だと思われる読者も多いと思いますが、本当に変です。でも人を狂わせる何かがカキにはあるようです。
 カキ料理というと、生カキに白ワインというように西欧料理として古くからあると思われがちだが、日本でも縄文期の貝塚を調べると、ハマグリに次いで多く食べられていたのがカキだそうだ。
 平安時代の「延貴式」には既に伊勢からの貢納物の中に「蠣(かき)」の字があるそうです。カキの語源は殻から身を「かき」出して食べるからだというが、その殻を粉末にして薬用にしたり、鶏の餌にしたりしていた。そう言えば、この間、TVで実験していたが、カキの殻の粉末を溶かした水に付けたホウレン草は一週間たっても新鮮で、水道水に付けておいたものは腐ったという。(ここで水道局職員としてはっきりさせておきたいのは、水道水に付けておいたから腐ったわけではないことです。カキの殻の粉末を溶かした水も水道水だったのです。)
  そんなウンチクを並べていたわけでもないけど、すっかり夜も更けて、カキ宴会も無事終わり、お休みなさ〜い。

4.9月14日(日)
  まずまずの天気。
  朝食は、トースト、サラダなど。
  やや風が強くなりそうな予想であった。蒲郡に帰る「朝風」にとってややきつい風であり、うねりも大きくなりそうで、”チャリンコ”松田が泣き付き”船大工”水野は、「朝風」に同乗することになった。
  一方、美州は、ほど良い風と静かな波を楽しみながら、野菜たっぷりのパスタでビール・パーティーだったが、少しビールが足りなかった。

5.何とか「朝風」も時間はかかったようだが、無事蒲郡に着いた。さて、毎回クルージングから帰り、この原稿を書いていると、もう次のクルージングに思いを馳せることになる。
  また来年も懲りない粋人(ヨットマン)たちが、カキの魅力に引き寄せられて、後悔の航海に出ることになるだろう。
  次回も乞うご期待。