


当然、今回も自分が出ることはないと思っていましたので、レース当日の朝に堀田監督に「おまえが出ろ!」と言われたときは、入部したての頃のような心臓が縮む思いをしました。
1チームは水野さんと堀田監督、そしてもう1チームは本来、山田主将がスキッパーをつとめるはずだったのですが、風邪による体調不良のためやむを得ず私と吉岡さんにお鉢が回ってきたとのことでした。
まあ、何とかなるかなと思っていたら、艤装の手順を半ば忘れているのに気づき、んーやっぱりだめか?
我が愛艇のグランパスU(ゴムボート)にしばしの別れを告げ、スナイプで出艇することとなりました。以下は、その第1レースで起きたことの顛末です。
'98/7/4 恒例のレース前夜レセプション,一気飲み1本勝負
ここで収集した判断材料は、
スタートの感覚は綺麗に忘れ去っていたので、少々冒険ではあるが、早めにラインに近づいていった。スタートラインはわずかに風下有利と判断し、スタート位置を風下リミットマーク寄りで岸にタックを返せる風上を狙いとした。
風が強いせいか他の艇はスタートラインに近づいてくるのが遅く、下スタートを狙う艇団の一番風上と絶好のポジションでスタートを切った。スタート後の位置関係、スピードともに悪くなく、これはいける!と気合いが入る。(今にして思うとこれが油断でした。)
スタートして3分ほど経過すると、多くの艇がセオリーどおりに岸に向かってポートタックで帆走している。こちらは当初の予定どおり三谷温泉街を3時の位置に見るところでタックを返した。
他艇を比べて見ると、艇速はそれほど悪くないのだが、角度が悪く風下へ流されている気がする。また、ときおりブローが入ってくるのだが、パワーダウンするためにメインを少し緩めざるを得ず、体力的にも余裕がないことから、リフトのブローなのかヘッダーのブローなのかがさっぱり分からない。しかたがないので、細かい振れは気にしないことにし、ブローの際にメインを緩める量を減らしつつ、頑張ってハイクアウトすることにした。く〜っ、きついぜ!
コース半分あたりのところで一度スターボードにタックを返した後、しばらくして再度タック。上マークへのアプローチは長くならないようにと思ったが、ポートに返すのが少々早く、300mほどのアプローチになってしまった。
上マークを1桁台(7位だったと思う)で回航したが、トップ集団とは少々距離が離れており、近くには2、3艇しかいなかったので、とりあえずあまり風上に膨らまないようにマークに一直線と思って走っていると、遅い、遅い。フリーの艇速が他艇に比べて極端に悪くどんどん離される始末。あわてて方針を切り替えて、ラフしつつスピード向上を心がけたが、サイドマークに着いた頃には上マーク回航時の集団の一番どん尻になってしまった。
サイドマーク〜下マークでは何とか離されないように維持したが、フリーでの不利は歴然。ここは風上へのクローズホールドで一気に挽回するしかないと心に決めた。
2回目のクローズホールドへのコース取りは、1回目とほぼ同じでいくつもりであったが、下マーク回航時に艇団のブランケットに入ってしまい、その後もスターボード艇にいやいやタックさせられたりと、思うようなコースがとれず、余分なタックを何回も打たされた。2回目の風上航となると艇がコース全体に散らばってしまうので、自分たちがどのあたりなのかよくわからなかったが、2回目の上マークではなんと5位で回航した。
しかも我々の直後に回航したのは、おお我が同志!水野・堀田艇ではないか!
よっしゃ、やったるで〜と思いながらも、さきほどのフリーの鈍足さを思うといささか心もとない。これはもう艇を波に乗せてプレーニングしかないと思い、風が強まっていることも忘れてパンピング、ハイクアウト、ベアウェイと忙しい、忙しい。
おかげで何とか順位も落とさずに下マークまでもう少しというその時、パンピングをしようとメインを引き込んだときにブローチングしてしまい、あわれそのまま沈してしまいました。
あ〜!久しぶりのヨットということも忘れ、調子に乗ってプレーニングしていた油断。
かえすがえすも悔しい思いだがもう後の祭りである。吉岡さんには迷惑をかけたが2人でやっと艇を起こした頃にはすでに全艇が下マークを回航した後であった。

と、ここまで書いてきたけれど、ん〜だけどねぇ〜、
分かっちゃいるんだけどなかなかねぇ〜・・・・・・・
はぁ〜・・・・・・・・・・