毎年8月初旬,我が部は市職員(+α)を対象として蒲郡ヨットハーバーでヨット教室を開きますが,これに参加してヨットを体験したことがきっかけとなって入部したという部員もかなりいます.
Fig2.さぁ,出艇じゃ,ジブシート引け〜
"オィ,ちょっと,待て待て,ティラーにメインシート絡んどるガヤ,なおさんと"
---こういうドジもたまにはあります.
と,急に生徒二人とも前方を指差して「アッ,アッ!」,「なんじゃ?」と振り向くと目前に他の艇が.
交渉が済んで,生徒二人に「アッアッと指差す暇あったら何とかなるやろ! おまえら車運転しててぶつかりそうになってもハンドル切らずにアッアッか,アホッ!!」.二人はシューン.
しかしながら,これは八つ当たりってヤツです.この事故はインストラクターである小生が自ら率先してくだらない雑談と冗談で周囲への注意を怠り,怠らせたことが原因で,全面的に私メの責任であります.
ところが初めての練習の時から,上から下までブランドものでビチっと決めて来た新入部員がいました.
このアクシデントは"敏クンの船底踏み抜き事件"として大きな話題となり,クラブの歴史に残ることとなりました.
Fig.ヨット教室本部艇
ヨット教室はしろうと衆のド初心者が対象なので,万一に備えてレスキュー役の本部艇を用意します.
で,そのためにヨット部OBグループ所有のクルーザー"美州"を母港の鬼崎YHから知多半島南端の師崎を経て蒲郡まで半日かけて回航します.
ところがスクール当日,その美州のデッキ上ではインストラクターを若手に任せた古狸の連中が前夜の大宴会からの続きのごとくビアパーティで盛り上がっていて,スクール参加艇の監視なんか誰〜もというイイコロ加減さ.
我が部のヨット練習の時の服装は,夏は着古したTシャツと短パン(特にゴム部分が潮水の塩分ですぐへたるのでいいのは着ない)で,寒くなると長ものに替えてさらにヨット用カッパを着ることもあります.
彼はやる気十分のようでしたが,運悪く最初の時またその次もと続けてチンを経験してご自慢のブランド上下もずぶぬれになってしまいました.
そして,しばらく休部することを申し出,結局そのまま・・・
ヨット教室に参加して「ヨットに初めて乗ってセーリングの醍醐味を体験したことが入部動機となった」と言う,敏クンは相撲部のほうが似合うような体格です.
彼は入部間もないヨット部創立10周年記念パーティでは場違いの蝶ネクタイ正装姿で現れて,ボーイさんと間違われ飲み物を運ばされていました.
艇に水がたまったので排出するため「ベーラ開けてくれぇ」と指示しました.彼は身をかがめてゴソゴソやっていましたが「固いな〜」.小生は単に金属部分の動きが悪くなっているだけと思ったので「足でグッとやれ,遠慮せんと」.敏クンは「そいじゃ」.
しかし,メリメリッと鈍い音が・・・
「ン?なんだ」と覗き込むと,「エェッ!?」
ベーラーにストッパーが効かせてあった(だから開かないのが当然)のが,敏クンがそのコンマ1トンの全体重をかけてそのまま一気に踏み込んだので,船底の部材が耐え切れずひびが入った音でした.
そして,世代が替わり一昔も前の話となった現在でも酒の席で話題に上ることがありますが,その度に彼は「あれは川浪サンが思い切ってやれって言ったから.ボクはそれにただ従っただけ」と口をとがらせてインストラクター&スキッパーの小生に責任を押し付けます.
しかし,この事件が契機となって,我がヨット部の壊し屋No.1の座は小生から敏クンにお譲りすることとなりました.
「焼き過ぎたらまずい」なんて聞いた風なことぬかしやがって・・・ 本音は”焼けるまで待ってたら遅れをとってしまう”というとこでしょう.
この事件も,"食い意地もほどほどに"という貴い教訓付きでクラブの歴史に残っています.
この汚い焼肉屋はその後,きれいに改装してファミリー客は増えたようですが,あまりうまいと思わなくなりました.
しかし,安いので東京の大学ヨット部まで合宿に利用していたし,我々貧乏クラブもよくお世話になりました.ただ,当然のことながらクーラーもないので真夏は海岸で波の音を聞きながら寝ていたことも.
当時,ハーバー近くの民家にセントバーナードの老犬がいました.
合宿の時,いつもの焼肉屋で夕食をすませてハーバーへ戻る途中に,「この家にものすご〜でっかい犬がいてるデ」と言いながら石塀の模様穴のとこから覗くと,彼も後ろ足立ちでこちらを覗いていて鉢合わせの急接近.「ワッ!!」
向こうも驚いたかもしれませんが,びっくりしていっぺんに酔いが醒めてしまった分,こちらが損こいた〜