少々派手メで葬式,見舞に行くにはちと気がひけました
 ヨット部入部当時は毎週のように蒲郡まで片道70キロを通いました.
 愛車の赤いコスモはかなり目立ったので,学生が追いかけてきて信号待ちで並んで声をかけられたことも・・・「センセ〜どちらへ?」.よくぞ聞いてくれたとばかり「蒲郡や,ヨットハーバーよ」


ヒトキューサンマル
 独身生活におさらばしてからもしばらく,平日より1時間早く朝メシかき込んでの蒲郡通いを続けました.
 しかし,'82年の"東京湾での死ぬ思い"に続き,'83年の愛艇「日商丸」解体を機に,なんとなく蒲郡が遠く感じられるようになって,以前よりギャルとお近づきになるためにという不純な動機でチョコチョコやってたテニスのほうに本腰を入れるようになり・・・
 結婚を機に教員公舎に入居したことから通勤時間が片道15分となって,往復で1時間半も短縮され,浮いた時間*をほとんどテニスに振り向けました.
 この頃の仲間は定年前のチョ〜さんも含め"ヒトキューサンマル"が合い言葉でした(PM7:30体育館集合の意).
 体育館の電気代が異常に上がって問題となったこともあります.テニス仲間の体育の先生が適当にとりなしてくれたおかげでコト無きを得ましたが.
* これから考えると通勤時間というのはホントに無駄なものです.
毎朝渋滞のイライラはどうしようもなく==>アキラメ〜 車運転しながらでは新聞も読めません.

  年の初めの・・・
 結婚してすぐの正月元日の朝,ヒトキューサンマルグループの一人から電話がかかってきました.
「テニスやろか」,「ウン,えぇヨ」,「そいじゃ,10時ネ」
 で,愚妻に「メシ食わせてくれぃ」と声をかけました.ところが「どうして?まだ早いじゃない,今日はお正月なんだから」と寝ぼけ顔,「テニス行くんヤ」と事情説明しても本気にせず起きようとしません.
「ナァ,頼むワ,ちゃんと朝メシ食ってからじゃないと体も頭も働かんのやから」.
 そこへまた電話.「ホラ,冗談だったって電話じゃないノ」.
 電話をとると「四人集めたけどサ,○○がもうちょっと遅くしてくれって言うから10時半にしよう」.愚妻にそれを伝えると「みんな正気〜?」とブツブツ言いながらやっと起き出してきました.そして「ホントにいいお仲間が揃っていらっしゃるのネ.そのうち誰かの家庭が崩壊するヨ」

デコボコ専用コート
 このヒトキューサンマルの仲間達も(家庭崩壊の事態に至る前に)それぞれ子供ができたり増えたり*で家事手伝いから逃れられなくなり,自然に消滅しました.
 で,その後しばらくは昼休み中,ソフトボールか卓球で退屈しのぎのヒマつぶし.
 しかし,これも建て替え工事のため広場を奪われたので,"そいじゃ"ということで学内片隅のバレーボールにも使われていたオンボロコートで軟式テニス,仲間が揃ってからは硬式テニスをやるようになりました.
 イレギュラーバウンドが多くネットもボロボロでしたが,アイツラの専用コートとまで言われるほど勝手に使いまくり,学生がやっていても「ここは教職員の福利厚生施設であって,教育関連の施設ではない.したがって,こちらに優先使用権がある」という理由こじつけで追い出すので,"テニスコートの管理人"と呼ばれていた**ことも.
* チョ〜さんだけは生産・育成活動から身を引いて久しかったので愛妻孝行を強要されることもなく,その後(ただ走るだけの)長距離に転向して相当の入れ込みようでした.
 今ではかなりのレベルに達し,各地転戦でメダルや盾をかき集めて,ヒトキューサンマルの面々は逢う度にその戦利品を見せびらかされ自慢話を聞かされています.
 また最近,疲労骨折したとのうわさも.(エッ,ホンマ!? やる〜?そこまで) しかし,それでもご本人は引退する気などサラサラのようで・・・(くたばるその日まで生涯現役を貫き通すお覚悟とみえます.ぉ棺は菊の花ではなく盾と賞状で埋めてあげよう)
** 学生さんにお説教
@ 終わって引き上げる学生に「オイオイ,コートのブラシかけやってけョ」,「ハァ」.「テニススクールかなんかで憶えたんやろけどナァ,そういうとこはお金もらって準備や後始末のサービスやってくれる人間おるけどこのコートはそんないてへんデ.アンタらお客さんとちゃうやろぅ?」,「アッそうか〜」.
A 革靴でやってる女子学生を見て「オィ,その靴あかんガヤ」,学生はキョトンとした表情で「エッ!?」.「おみゃぁさんの靴が傷むのはどぅでもえぇんやけどヨゥ,コート荒らすのが許せんのヤ」

  よく遊び,よく学び,よく働こう
 勉強,スポーツ,遊び何でもそうでしょうが,伸びているというのを自分で実感できる時が一番楽しく,やり甲斐もあるときで,この頃のテニスがそうだったと思います.
 また,本学内でもテニスが盛んな頃で学生テニス部や他大学の教職員との試合もよく行われていたので,ヨット部の予定と重なってどちらへ行くべきか迷いに迷うこともありました.
 仲間の顔が交互に浮かんでくるし,遊びのことだけでも身一つというのはホンマ辛い思いをします.
 小生が一番テニスに熱中したこの時期は,年間300日を超えるほどでした.
 さすがに肘と手首を痛めて,知り合いの整形外科ヤブ医者に相談すると一言,「テニスやめろぉ」.
 それでも誘われる*と断りきれず,湿布薬でごまかしながら続けていましたが,ついにはビール瓶持っただけで「イテテッ」.が,コップは持てたし,左手もあるので日常生活には別に支障なく懲りもせず.
* ぉ誘いの言葉は決まっています.「ちょっと痛いって言ったって,やれんってことないんヤロ」
自分がテニスやりたいだけ,他人の痛みなんて知っちゃぁいない.
こっちは湿布の貼り薬が手離せず,その匂いが体に染みついてしまうほどなのに.
メンバーが三人でダブルスやるのにあと一人必要という時など,
「痛ぁて打てのヨ」の当方の弁にも「返すだけでいぃから」.「けど,ホンマ痛いネ」−「じゃ,立っとくだけでいい」.「そいじゃぁラケットに足つけて置いときゃえぇやんか」−「まぁまぁ,ワンセットだけやから」.
 こんなやりとりしながらも結局は引きずり出されて・・・(やった後でアイシングや冷湿布なんかしてもそぅ効果ないことわかってだけどナ〜)

 とにかくよくやったし,ラケットはヒビいったり折ったりの消耗も激しく,ガットはしょっちゅう切ってスポーツ店のガット張りのニイちゃんとは「また〜?」の顔なじみでした.
 が,この専用に近いコートも学内建て替えのため駐車場となり消滅してしまいました.
 コート使用禁止のお達しは事務室で伺ったのですが,「学長からの使用禁止通達ということで・・・」,「文書や掲示は?」,「イェ,センセーに伝えたら一番早いと聞いたので」とニタニタ.「なんだ〜ありか〜そんなこと.コートに座り込むゾ,ハンガーストライキじゃぁ」.
 愚妻にぶちまけると,「できるわけないでしょっ,食事がちょっと遅くなっただけで"飢え死にさせるつもりか"って騒ぐひとが」.

  今日も元気だ,朝飯三杯
 あるヨットレースの当日朝,宿舎で朝メシを食べているとトイ面に座った半田市役所チームのライバル*が,「オッ,三杯目ですか,いけますネ〜」,「えぇウチでは二杯までって食わしてくれんのです.腹一杯食えるっていうのはうれしいですネ〜」.
 帰宅して「レースはさえんかったけど,温泉眺めがいいし努力すれば女湯も覗けたと朝メシは満足やった」とこの話をすると,愚妻は「それってバカにされてるのヨ,わからないの?朝から三杯,味噌汁もお代わりって高校生でもあまりいないわョ」,「そうかなぁ"張り切ってるナ,お互いレース頑張ろうゼ"って感じだったけどナ〜」.
* 半田市役所ヨット部は中部地区の自治体では常勝チームで,ライバルと言っても勝ったことどころか並んで走ったこともありまへん.
 結婚してすぐ「食べ過ぎは健康に良くないし,食費の無駄」と食餌制限を言い渡され,量だけでなく質的にも菜食主義を強いられました.
「なんだ〜これ,ウサギやコウロギの餌やんか.人間のエサ食わしてくれヨ」,「なにがベジタリアンや.結婚前は何をいくら食っても何も言わんかったやないか,健康と食費どっちがメインの理由じゃ」.
 おかげで半年間で7,8キロ減量しました.が,朝方早く腹がへってとても寝ておれず,我慢できずに前の晩の残りをあさることも.明るくなって起きてきた愚妻は「え〜信じられない,もう理解の域を超えてる,つきあってられない」.「別れてもえぇデ」と言いながらも腐れ縁はいまだに続いています.



 '87年に「美州」が進水してからは,テニスの誘いを断ることが多くなったので,時々テニス仲間から"つき合いが悪い"と非難,罵倒の声が飛んでくるようになりました.
 テニス仲間と飲んでいるときに「二股掛けというのは許せん.コウモリみたいなまねしよって,今ここでテニスかヨットかはっきりしろ」と迫られたこともあります.
 仲間を擁する趣味は,その両立にはかようにアチラ立てればコチラが立たずの状態に陥るというなかなか難しい面を有しています.

一度など,休日に"テニスやろ〜"の誘いで,
 1) 我が家へ電話 == 何度かけても留守 ⇒簡単にあきらめるわけがない,
 2) 小生の実家へ電話 == いない,わからない ⇒愚妻の実家の電話番号を聞きだす,
 3) 愚妻の実家へ電話 == "ヨットに行った"と返事 ⇒やっとあきらめて,翌日ブツブツ.
  という執念の人もいました.
 彼が無線を使えたら適当な口実で無理矢理上陸させられたに違いありません.

  仕事 or つき合い
 この執念の人="三日やらんと右手が震えてくる"と言うほどテニスきちがいの孝チャンは小生のテニスの師匠で,本職は内科の医者です.
 ある夜,彼と体育館でやってる時にポケットベルの呼び出しがかかりました.「ワルイ,危ないのがいるからすぐ行かんと.病院まで送ってくれ」.
 師匠とはいってもその頃はもう"出藍の誉れ"に近かったので,「いやじゃ,アホらしい,テニス中断された上,なんで運転手までやらされなあかんのヤ」,「そう言わんと」,「どうせヨイヨイの年寄りヤロ,無理に引き止めんとスンナリ天国行かせたればえぇやんか」,「イャ,そういうわけにもいかん.頼むワ」.
 車を降りる時,孝チャンは「アッ,Tシャツが汗ベタベタや,アンタ着替え持たん?」,「ないなぁ,さっき着替えたばかりやから」,「それでもいい,貸してくれ」.
 「しょうがなぃなぁ」とイヤイヤ脱いだシャツを彼はひったくってササッと着替え,走って行きました.
  ---遊び最中のお呼びも断れんなんて・・・因果な商売やノ〜

 But,テニス狂いの孝チャンもアッという間に三人の子持ちとなって少し正気をとり戻したようで,当直明けの7時前「今からやろぅ」との呼び出しもなくなりました.
 元日の9時前に電話してきた外科医の純チャンも,("別れる"と言い出すくらいの奥さんの猛反対を押し切って)開業してからはそうそう暇でもない様子で年数回,思い出したように誘いの電話をかけてくる程度となりました.

 現在では自分も仲間達も炎天下で半日続けるような気力も体力もなくなって,週に3〜4回学生のコートで昼メシ前30分程度,細々と続けている状態でガットも3カ月はもちます.


 記:Dec.-1996