信州蓼科には小生の勤める大学の山の家"蓼名荘"があります.
 夏休みに蓼科となると,「涼しい高原,テニスで一汗ビールがうまい」というのは,一度もガット*を切った経験のないカッコだけのテニスプレーヤーでも一応考えることでしょう.
 しかし,蓼科でヨットと言うと「エッなんで?」と聞き返されることが多いのですが,信州には諏訪湖があってそれなりのヨットハーバーもあります.しかも,蓼名荘から3,40分の距離なので,これを利用しない手はないという照夫クンの発案で「蓼科でテニスとヨットをやろう」ということになり,'83〜'85年の夏は蓼科へ.
*ガットというのはラケットに張った網々のことですが,これはある程度使うと切れる消耗品です.したがって,一度も切ったことがないというのは羽根つきと間違っているオバハンプレーヤーorド初心者ということです.

'85/08/30〜09/01
 参加人員はヨット部員10名(♂9♀1),部員外7名(♂1♀6)の総勢17名.
 部員外は小生が手近な所,つまり大学でかき集めた6名(♂1はテニス要員として無理に誘った利明クン)とK子チャンの友人の直チャンです.

 到着した30日は午後から"三井の森"のコートを借りてテニスをしました.
 回りは東京から来たえぇカッコしぃのニイチャン,ネエチャンばかりで,我々のグループは彼らに比べると少しばかりイモニィ,イモネェの感のあるテニスルックでしたが,その中でも厚クンのようにシャツから靴下までウインブルドン(とかいうブランド)でビチッと固めたのもいました.
 が,小生はそれとは知らず,のマークを彼の出身校・早稲田大学のマークと思い込んで「オッ都のセイホ〜ク,ワセダの森に〜チャンチャチャン,何クラブのユニフォームや?」


 2日目は諏訪湖でヨッティングです.クラブを通して予約済みで,スナイプ5杯の他,レスキューボートも貸してくれるということになっていました.
 「ヨットの監視なんかいらんヤロ,モーターボートぶっ飛ばして諏訪湖を走り回ったろ〜ゼ」の目論見で「レスキューはオレやったる」と,意気込んでヨットハーバーへ行ったのですが,待っていたのは大き目の船外機が付いた平べったい漁船でした.「なんじゃ,これ,その辺のネエチャンに乗っけたろかって声かけても"アンタ,正気?"って言われそうやナ〜」
Fig.ウインドサーフィンもちっとやってみっか〜
名古屋から信州まで担いで来たんやから  
 午前中は天候穏やかで風も手ごろ,漁船レスキューもしばし走り回った後は,何もないだだっ広い甲板に寝転がったり,とのんびりしたものでした.ヨットから乗り移ってきた利明クンは「泳いでもいいですかネ〜」,「諏訪湖はオレのもんじゃないからイイも悪いもないけどヨ,泳ぐ気するか〜?こんなとこで」
 夏の諏訪湖は富栄養化の影響で"アオコ"と呼ばれる植物性プランクトンが増殖して,緑色の粉あるいは緑の絵の具を流したような感じになります.
 昔はきれいな湖だったそうです.湖岸に”おとうさん,ぼくも諏訪湖で泳ぎたい”という標語の大きな看板がありました.根が単純なせいか考える必要の無いストレートな言葉にはグッとくるものがあります.
 このところ年々少しづつ水質改善が進んでいるとのことですが・・・
 小生も諏訪湖で泳いだことはあります.落水したからしょうがなくですが,汚い所では東京湾なんかでも泳いだ経験があるので大したことはありません.それでもTシャツが緑色に染まりそうであまりいい気分はしませんでした.
 But,利明クンは気にする様子もなく泳いでいました.
 都会っ子は水質汚濁や大気汚染に慣れっこになっているので,透明な水とか排気ガスの臭いのしない空気は味気が無いって思うのかも.
 でも,諏訪湖では様々な格好をした遊覧船がウロウロしてるし,対岸の岡谷市との間に定期船も走っています.泳ぐ時は気を付けましょう,ヨットやボートに乗る時もネ.

 お昼はハーバーすぐ近くの"諏訪レイクサイドホテル"の10階・中華レストランへ.
(ホテルと言ってもディンギー乗りの半水着のままでも入れるような気楽な感じです---心から歓迎してくれてるかどうかはちょっと
 ここのエレベータはガラス張りのスケスケですが,B少年はドア側にへばり付いたままで「ボク,苦手なんです」.「なにがぁ,眺めえぇデ,こっち来いよ〜」と無理に腕を引っ張ると本気で抵抗.
 湖を眼下に一望しながらの楽しい食事も窓から遠い席に座っていました.(高所恐怖症ってやつかな? 小生は高いものを見るとすぐ登りたくなる人種なので理解できません.)

Fig.この頃はまだ余裕の笑顔・・・  
 さて,午後も漁船レスキューでフラフラしていました.が,にわかに西の空が暗くなり天候が急変する気配が感じられたので,ヨットのほうへ戻ろうと急いだのですが,走る間にも湖面が急に波立ってきて,水しぶきが顔に当たるほどになり,「えろぅ変化が急やナ〜」
 ヨットは全艇帰港の体制でしたが,一杯が既にチン,それも完チンの状態になっていました.すぐにおじゃま虫にしかならないお客さんの直チャンをレスキューに拾い上げ,チン起こしにかかったのですが・・・

 なかなか起こせず,「こりゃマスト刺さったかナ〜」.で,チン艇の厚クン,国昭クンに加えB少年,"これではど〜だ"の巨漢・敏クンまでもと新手をつぎ込み,さらに和政クンも自艇にお客さんの由美チャン一人残しアンカーを打って(和政艇だけ二人乗り,他は部員2+お客さん1の三人乗りでした),チン起こし作業に加わったのですが,起きる気配がありません.
 K子チャン「ど〜する〜?ハーバーに連絡して助けきてもらう〜?」,「あかん,ヨット部ということでレスキューごと貸してくれたんやから,これくらいで助けてくれなんて言えへん.ウチのクラブのメンツにかかわる」
 で,機械の力を借りるしかないということで,ロープを結んでレスキューで引っ張ろうということになったのですが,ペラ(スクリュー)という危険物があるので慣れない作業に四苦八苦.
 エンジンフルパワーで引くと徐々に動き出し,そのうち黒く汚れたマストトップとメンスルも見えてきました.しかし「なんか変じゃん,ゥエ〜曲がっとる」.つまり,湖底に刺さったマストを抜こうと強引に引っ張ったためにくの字形に曲がってしまったということです.「参ったナ〜弁償十万円コースやんか」.
 とにかく,ハーバーへ戻ろうと皆レスキューに拾い上げたり,それぞれの艇に乗ったのですが,最初からずっとかなりの時間水中作業に当たっていたの厚クンは動こうとせずただ浮いてるだけ.「どぅしたん,帰るデ」.しかし,返事はなく表情もうつろ・・・ 「あかん,半分死んどる」.こういう時は荷物と同じですから,服やライジャケをつかんで三人がかりで「よいしょ」とレスキューに引き上げました.

 ハーバーへ引き上げの途中,全員チン起こしで必死の思いをしている間に,直チャンが隠れる所のない漁船レスキューの片隅でズブ濡れのTシャツを着替えていたことを知って,「クソッ見損なった.要領のえぇオンナやなぁ」
 ハーバーでは一杯だけまっ先に戻った森艇の三人が高見の見物していました.(同乗がド素人のオネエチャン二人ということを考えるとこの判断も正しい)
 しかし,弘美ちゃんと光子ちゃんの二人はこのチン事件を間近で見れなかったことを残念がっていました.---野次馬根性丸だし,何たる不謹慎見せモンとちゃうデ,死ぬ思いしてのもいるのにョ〜

 ハーバーへ戻って一服して,管理人のオッチャンの話を聞くと,「諏訪湖は水深の浅い皿のような湖なのでマストが刺さることはよくある.レスキューで引く時は回転しながらえぐるように引き抜く」ということでした.「そうか〜また一つ賢くなった.けど高い授業料やな〜」.しかし,これも保険でなんとかするから(船体保険に入った艇のマストと交換)ということで二万円くらいで済むという話でした.---オッチャン,ありがとう
 ハーバーの近くには"片倉館"という大きなレンガ造りのとても銭湯には見えない温泉があって「帰りに寄ろぅか」と話をしていたのですが,その気力も失せ,早々に蓼名荘へ「帰ろ〜」.

 この日の夜は皆さんお行儀が良いというより,いつものような飲んで食って唄ってくっちゃべっての元気が全く残ってないようで,揃って早く寝てしまい蓼名荘の夜は静かでした.

  の厚クン,後日回顧の弁

名古屋市役所ヨット部15周年記念誌:
SAIL ON U』<'87/12発刊>より
 陸に上がった私たちの姿も悲惨でした.湖面に漂っていた藻が体中に付着して白いシャツも緑色に染まってしまいました.これは何度洗っても落ちませんでした.
 湖面に落ちた瞬間,あの緑色の水をしこたま飲んだかと思うと今でもゾッとします.

P.S.
 その後,厚君はこのチン事件の一部始終を至近距離で傍観していた由美チャンと結婚しました.
 ド素人の由美チャンには手の出しようがないのはわかりますが,今度同じ様な場面では励ましの言葉くらいかけてあげましょう
 由美チャンから励まされたら,厚クン,チン艇と心中の覚悟で頑張るヨ,きっと.

 記:Sep.-1985