夏休みになると体育の先生を中心として教職員のテニス合宿が行われていました.小生も白馬,志賀高原,ひるが野と毎年参加して遊び回っていたのですが,そのうちに皆さん結婚して子持ちとなったために先細りとなり・・・
 で,'85年よりファミリー主体の家族サービスの形で蓼科にある大学の山の家=蓼名荘に行くようになりました.


 蓼名荘の近くに"尖石遺跡考古館"があって,林間に大昔の草木造り一戸建て住宅(分譲別荘ではありません)も復元されています.---自転車で手頃な距離ですが,ずっと坂なので行きはスイスイの天国,帰りはヒーヒーの地獄です.
 他にも,車で数10分の範囲内に多くの美術館,資料館があります.
 しかし,ワルガキどもは考古学や芸術にはあまり興味・関心がないようで,すぐに「野球やろ〜」,「どっか行こ〜」


 Figテニス仲間ワルガキ連(中にもまだいるはず)

 このテニス合宿のレギュラーメンバー四家族の構成は似たような年齢の子供二人ずつ,それも女の子は一人だけで他七人が男の子とえらくまとまりの良いグループで,その他にいつも二,三家族なかには三世代10名にもなる大所帯もの参加があるので蓼名荘を占拠した感がありました.
 テニスは三井の森という"ちょっとえぇカッコしぃ"のコートを借りるのですが,毎年のことなのでテニスコートの管理人のオッチャンとも顔なじみになり,少々の時間オーバー,フライングもOK.コートの回りで子供達は1日中バッタやカエルを追いかけ,ビニールプールを持ち出してスッポンポンの水遊び,お昼も農協から食料買い出してきてその辺で,というかなり勝手気ままのやりたい放題.あのオッチャン,あきらめていたのかなぁ

 このテニス合宿はガキどもにとって夏休みの一大イベントで,出発の前から大いに張り切ってウキウキ,ワクワク,ソワソワ.蓼科に仲間が集合すると一気に盛り上がり朝から夜まで内でも外でも全員つるんで大騒ぎ.
 そして,現地解散後の帰りの車中は遊び疲れと祭りの後の寂しさでフヌケになって全く言葉がなく,シーンと静まりかえってまるで霊柩車でした.

 その後,子供達の成長にともなってテニスのレッスンから川遊び,キャンプ,広場で野球と遊びも多様になりました.
 しかし,中学生ともなるとスケジュール調整が困難となり,長く続いたこのテニス合宿も現在休眠状態から自然解散の方向へ・・・
 記:Mar.-1996