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小生,九州はばってん長崎の産であります.
桜の花と米のメシと忠臣蔵*が大好き(名古屋弁ではでゃぁ好き
)で,義理,人情,浪花節のGNN理論さらに男女不平等論**を信奉し,亭主関白を本分とする九州男児たらんと常日頃意識しています.
(古い?ゥン,自覚はありますヨ,一応. Butten,損得よりも意地メンツ,権利義務より・・・義理と人情のこの世界〜♪が信条ですから)
* 年末になるとTVを見ている小生に,愚妻は「すじはわかり切ってるのに毎年見てよく飽きないネ」.ハァ,自分でもそう思います.
討ち入り放送日の日曜夕刻,TVの調子が悪くなったのであわてて手持ちのカネをかき集めて近くの電器屋へ走ったこともあります.(愚妻は,「急に飛び出してったけど,どこ行ったんかしら」)
** 名古屋へ来てしばらくは小トラブルを招くこともしばしばありました.女子大で「ナンセ〜ンス」と非難を浴びたこともあります.自己批判?するわけない.(逃げてきました,ネエチャン連の迫力に負けて”男女不平等というのは不合理な差別や不公平とは別物”という持論が説明できなかったので,情けな〜)
Fig.長崎の街は坂ばっか(お諏訪さんにて)
平地が極端に少ないため,家が山の上へ上へと建っていきます.
名古屋へ来たばかりの頃,デパートの屋上で回りを眺めて,”なんじゃ〜コレ,海も山もないノッペラボーやんか.永くいるとこやなぃなぁ”
・・・Butten,もぅ25年になります.
寮生活の学生時代,風呂で「先輩,長崎じゃないですかぁ?」と声をかけられました.「オゥ,何を隠そう,長崎西高ヨゥ」,「アッ僕ぁ東です」,「そうかぁだけど何でわかったん,長崎って」
「きのう野球やってる時,誰かエラーしたら"なんばしよっとかぁ"って怒鳴ったでしょ.あれだけでわかりますヨ」,「言うたか〜?そがんこと」
何かに夢中になると思わず地が出てしまうものです.
友人達が小生の長崎弁を面白がってよく真似していました.
その度に「よかばってんイントネーションのおかしかばい」とか「なんば言ぃよっとか,そがん言い方はしぇん,長崎弁になっとらんやっか」と厳しく方言指導していました.Butten,モノになったのは一人もいません.(マスターしてもしょうがない?ま,そうですけどネ)
Fig.長崎港(五島行きフェリーと巡視船"みずほ")
5千トン級巡視船の"みずほ"は現在名古屋港を基地として,普段は名古屋港ヨットハーバーのすぐ近くに係留されています.
("外洋ヨットは不沈不転"というヨット界の神話を覆し,14人の死者,不明者を出した'91/12/26〜のグァムレースにおいて間近で救助に当たりながらも救えなかった責任を問われ,東京から名古屋に左遷されたとの説がヨット関係者の間でありますが・・・うそでしょ?)
この"みずほ"を至近距離で見たろぅとヨットで近づくと,愚息は見上げて「でっかいナ〜」の一言.---ウン,お世話にならんようにしとこナ
5万トンのドイツ客船"オイローパ"の時は口を開けたまま「・・・・」(言葉無し,デカすぎてとても船とは思えず)
【+大阪弁,惜別 】
しかし,小生の長崎弁も今では+名古屋弁+大阪弁=ごちゃ混ぜ弁になっているので,どこへ行っても「おかしな言葉しゃべりよって」,「けったいな関西弁やなぁ」などと言われるし,愚妻からも「もうちょっとまともな日本語使ってネ,子供達が真似するから」
大阪に住んだことはないのですが,学生時代気が合って寮にも引きずり込んだ後輩の強烈な大阪弁がうつったものです.
大阪弁野郎−平川智之君は,人物,能力ともにOKのデキの良すぎる後輩でした.(結婚式用建前ホメ言葉ではなく,ホンマ物エリートでした)
しかし,41才の若さでガンで亡くなりました.その知らせを受けたのは入試が終わって採点にかかった日でしたが,そう長くなかった彼とのつき合いの中での想い出が色々と浮かんできて,絶対にミスが許されない採点作業にどうにも集中できず,どうしてよいかわかりませんでした.
誰からも好かれた気のいい男で小生も高く買っていたのですが,ただ残念です.