義父母夫妻に「一度美州に来ませんか」と(ホンの外交辞令的に)声をかけたのですが,しゅうと殿が「ウン,そうだな」.
しゅうとめ殿は「揺れるんでしょ」,「そりゃ,4トンの小舟ですからネ,4万トンの豪華客船のようにはまいりませんよ,まぁ東山公園のボートよりはましってとこかな」.「やめとくわ」
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西浦の"日産マリーナ東海"で初乗艇の中尉殿は「ちょっとそれ(ティラー)やらせてくれ」から始まり,「防舷材(フェンダー)は離岸したらすぐ収納せんと.みっともない」,「着岸は岸に対して斜め30度から進入して・・・」と青年将校時代に戻って新兵教育.
◎ 帝国海軍小尉の場合
《 両親二人⇒ 四人 》
戦前地主のウチに生まれてお姫様扱いされたおばあちゃんは,敬老パスがもうすぐもらえる歳になった今でも思い通りにならないことがあるとすぐ泣きます.
同じく大学は定年で引退されましたが,テニス仲間に元帝国海軍小尉の物理のT先生もいます.
少尉殿のテニスはもうお年なので強いショットはないのですが,ひねくれた球でテクニックを弄するので初心者ではなかなか勝てず,小生も散々もてあそばれました.しかし,この少尉を乗り越えないと仲間内で一人前と認められないということもあって我々にとっては一つの壁でした.
一昔前の夏,小生は少尉に挑戦し,どちらかが参ったというまで続けるデスマッチをやろうということになりました.ところが,小生が勝ち続け一方的な優勢にもかかわらず,少尉は"まだまだ"と強気の姿勢を崩さず,とうとうセットカウント4-0(ゲームカウントではない!ゲームは途中13コ連取した)となったところで,小生から一時休戦を申し入れて中断.(こちらは力でブチ破ったると目いっぱいやってるのでハァハァ,少尉はきつい球は"参った〜"と追わないのでずっと涼しい顔.これじゃぁたまりません)
戦争末期,野の草や虫なんでも食って生き延びる訓練も受けたと言う少尉はその後も「勝負はついてない」と負けを認めていません.("敗戦でも終戦でもない,停戦だ"とずっと言い続けるのかナァ・・・ コガネ虫はまずいというより何の味もしないそうです,フ〜ン)
しかしこれ以来,小生はテニス仲間から一人前の扱いを受けるようになりました.
しかし,少尉は「機走は面白ぅない.風のある時じゃないと」などと注文がうるさく,こちらが「風の強い時?フルセール?クルーを揃えないかんしナ〜初心者はちょっと〜」と難色を示しても,「それがヨットだろうが」と挑戦的言辞を吐くので,まだ実現していません.
最近では少尉の足腰にガタがこないうちにと,こちらが焦りを感じ始めています.
中尉から「実家のお父さんはぉ元気か」と尋ねられて,
「えぇ,まだ寒いもんで冬眠状態ですけどネ,去年の夏は猛暑で夏眠してたし」
愚息-2が「カミンってなに〜?」,「夏眠っていうのはな・・・ゴチョゴチョ」,「そいじゃハルミンっていうのもあるの?」,「あるある,ただハルミンって言うと春に鳴くセミみたいやからシュンミンって言うんやけどナ」,「秋は?」,「シュウ眠やな.そいじゃ,冬眠,春眠,夏眠,秋眠ときて来年の冬は何になる?」,「え〜と,また冬眠でしょ」,「違うな〜オジイチャンの場合,永眠って言うんや,ガッハッハ」
笑ってすぐに"アッ言い過ぎた"と身構えました.ところが,母上が「そんな〜まだ60台の元気な人のことを〜」と言っただけで中尉はニヤリ.
この頃から実の親父と同様に,というより以上に話の波長が合うようになって,言いたいこともかなり言い合う仲になりました.
愚妻の両親はいい歳になった現在でもどこでも一緒の仲のいい老夫婦ですが,しょっちゅう口げんかしています.(仲が良すぎてケンカする?)
少し以前に訪ねたときも真っ最中という雰囲気でした.母上が"ちょっと聞いてヨ"という感じで,「勲章くれるって話しがあるんだけどね,断るって言うのょ」.そして中尉に向かって「共産党って思われるヨ,ほんとに」,Ji:「そんなもんはいらない.大学の先生では辞退する人も多いよ」,Ba:「素直にもらっとけばいいじゃないの,孫のおもちゃになったっていいんだから」
父上の海軍中尉正装時の儀礼用短剣は愚息のおもちゃになっていて幼稚園の頃まで遊んでいました.
で,小生が「もう喜ばないと思うナァ.ゲームギヤのカセットに代えてくれって言いますヨ.だけど,いいじゃないですか,政治屋じゃあるまいし.父上の姿勢,買うなぁ」.愚妻は「ちょっと!口出ししないで."火に油"になるから」
「なんでゃ,これが余計な口出しかぁ,勲章なんてなぁお上がくれてやるって態度が気にくわんヨ.官尊民卑って不平等の見本やないか,あんなモン.大体ヨ〜前から思ってたけど母上は父上に対して言い方がきつすぎるデ」.中尉はウンウンとうなずいていましたが,愚妻は「やめて!おばあちゃん泣くよっ!!」
この"ぉばあの涙"のために小生らの夫婦げんかがうやむやにされてしまったことも度々・・・ クソッ,ぉばあがじゃまできなくなったら決着つけてやる.

中尉は70才の定年まで大学勤めを40数年続け,現在は年1回のヨーロッパ旅行くらい「このため事前にかなり時間をかけて語学と西洋史の勉強をしています---よぅやるよ」で悠々自適の毎日ですが,豪華客船のフルムーン世界一周くらいプレゼントしたいなぁと考えています,マジに本気で.「考えるだけならタダですから」
しかし,愚妻は家計のやりくりに頭を悩ませ,自分も遊興費確保に四苦八苦してるような安サラリーでは実現の可能性などあるはずもなく夢のまた夢です.「あぁ親孝行もままならず」
同世代の若者が国を守るという大義名分のもと"ワレ突入ス"と散ってゆく無電の受信を聞いていた父上ですから,勲章なんかというその気持ちは理解できるし,女にはわからんと思っていました.
ところがその翌年,諸々の世間のしがらみで叙勲を受けることになりました.小生は"な〜んゃ"とちょっと面白くなかったのですが,"スジを通せよ,スジを"という言葉は愚妻から「何も言っちゃダメ!」と止められました.
正式発表前後には贈答品屋やホテルのパーティ売り込み,寄付願い等かなりの騒ぎでいろいろな話しのネタが尽きず,しばらくの間父上が主役のこの話題で食事の席が賑わいました.
そこのおばちゃんから「あちらのご両親もお元気?」と尋ねられ,「ハァ,元気過ぎて老いても子に従ってくれませんネェ.アッ,皇居に行ってくるって昨日から東京来てますワ」.
おばちゃんは「アァ清掃奉仕〜大変よアレ,服装なんか,真っ白のかっぽう着でね」,「ウン,服装はブツブツ言ってましたネ,だけど着物とモーニングじゃないかナァ.勲章もらうだけだからかっぽう着はいらないって思いますヨ」,「ハ?」
名古屋へ帰ってこの話をするとぉふくろサンと愚妻は「アッハッハ」の大笑い.
しかし,父上と母上に話すのはやめときました,ガックリきそうなので.

ところで,この勲三等の旭メダルは小振りながらもなかなかカッコいいので,"父上がくたばったら形見分けにもらって戦艦大和の菊印みたいに美州のへさきに貼り付けてやろう"と,ひそかに考えています.
「どうだぁ,この考えは」と愚妻に打ち明けると,「ダメッ!! おばあちゃん泣くだけじゃない,今度こそ"私の目の黒いうちは"って怒るヨ.そんなこと考えてるほうが先にあの世行くんだから.私だって許さない!」
しかし,ドタバタのなかで行方不明になってしまい,実物は小生も見せてもらってません.
Ba:「どこいったのかしらねぇ,捨ててはないと思うけど・・・」(ボケの始まりかナ〜)
